近年30万部を超える大ベストセラーになり、多くの人に「人生の見方を変える衝撃を受けた」と言う声を巻き起こしている実業家ビル=パーキンスの著書『ゼロで死ね』の中に「人生の中味は結局最後にどれだけの思い出を豊かにもっているか、という事に尽きる」「豊かな思い出には、《思い出の配当》と言うものがあり、豊かな経験の思い出は、後の人生に、それを思い出し、再びこれを噛み締める事による充実した時間をもたらしてくれる」と言う趣旨の人生観を示してくれています。
私もこの著者の主張には大いに共感を覚え、自分がその時やれる範囲で様々な取り組みをし、豊かな思い出を持てるようにしたいと常々思っています。
さて、9月上旬、昨年思いつきながら事情で取り止めざるを得なかったウィーンツアーへの再チャレンジの旅を始めましたが、初日から様々なハプニング満載で、良くも悪くも(?)豊かな『思い出』作りになるのは間違い無さそうです。
2年前のオランダ〜ベルギー〜パリの旅をした頃は、まさにコロナ禍の真只中であり、本ブログでの報告にもその詳細を報告したように、その20日間に訪れたヨーロッパの観光地では、日本人観光客とは、見事にただ一人とも会う事無く、各地の観光客数も閑散としたものでした。
しかし、今回は、関西空港でも、乗り継ぎの中東ドーハでも、多くの観光団体ツアー客が溢れ、賑やかに日本語が飛び交う状況でした。
それは、2年前の状況に比べて、ある意味心強いかな、と思ったのですが、ドーハで各地に乗り継いで行く形なので、結局、ウィーンへの飛行機の中では、やはりチラホラ程度になっていました。
飛行機の座席については、前回の記事でも書いたように、事前に足元が広く出入りにも便利な席を指定出来ましたので、飛行機の時間は、ずいぶん楽に過ごせました。ビジネスクラスの料金がエコノミーの倍位かかる事を思えば、その座席指定の追加料金はしれていますので、コストパフォーマンスは良いと思いました。
さて、7月のドイツツアーが、添乗員のフル=アテンド付きのパッケージツアーだったのに対し、今回は、ウィーンのみをじっくり楽しみたい方針のため、飛行機とホテルだけを旅行会社に取ってもらう個人ツアーにしました。その分、自由度は高くなりますが、様々な想定外の事態に対しては、全て自力で解決しなければなりません。その想定外の事態に、何とウィーン空港に着いた直後に遭遇する事になりました。
乗り継いで十数時間のフライトからようやく解放され、最初の作業は、スーツケースの受け取り(ラゲッジクレーム)です。荷物が流れて来るレーンの前に立ちましたが、表示板には十数便のフライトが表示されており、やはりウィーンは空港の規模が小さいから、こんなに多くの便の荷物がまとめて流されるのかなぁと思っていました。
レーンの周りは、多数の乗客が待ち構えているのですが、肝心のスーツケースが一つも姿を現しません。余りに時間がかかるので、ひとまずトイレに向かいました。すると、その途中の少し離れたレーンにも、全く同じ便の表示があって、そこには、既にスーツケースが流れており、乗客が自分の荷物を取り込んでいます。複数のレーンに同じ便の荷物が流されるとしたら、両方をチェックしないといけない訳ですから面倒だなぁと思い、2つのレーンを行き来し、チェックし始めましたが、自分のスーツケースは見当たりません。半時間位経ったでしょうか、荷物の数がかなり減り、周りの人数が減って来たのに、私のスーツケースは全く姿を現わしません。そうこうするうちに、何と飛行機の便名の表示から、私の乗っていた便名が消えました。つまり、私が乗っていた飛行機に積まれていたはずのスーツケースは全て流れたのに、私の荷物が無い!という一大事です。
これが添乗員付きのパックツアーなら、添乗員さんが血相を変えて、走り回ってくれるはずです。しかし、個人ツアーですから、私自身が行動を起こさなければ何も解決しません。まず、目の前にあったインフォメーションの窓口に行きました。アルバイトのような若い女性が、マニュアルみたいなファイルのページを繰って、『Lost and Found』に行け、と言います。そちらに行くと、航空会社の担当が違うと別の窓口に回され、さらに数人の担当者をバトンタッチされて、ようやくバックヤードにある不明荷物置き場に連れて行かれました。目を皿のようにして、探しますが、見つかりません。そこで、手にしていた受け取り荷物の半券に気がつき、それを渡すと、コンピュータで検索してもらえました。その結果は、何と、さらに少し離れた別のレーンを流れている、という事でした。そのレーンに向かって、ようやく私のスーツケースを探り当てました。飛行機を降りてから1時間以上経っていたでしょうか。
しかし、初めてのウィーンからの手荒い歓迎は、これに止まりませんでした。ようやく再会した大きなスーツケースを引きながら、空港からウィーン都心部のホテルに向かわなければなりません。その移動のための交通機関のチケットは、事前にネット購入しており、その証明書のプリントアウトを持参していました。チケットを扱っている観光案内所を探し、その書類を見せましたが、それは単なる支払い証明書であって、発行ナンバー等が分からないとチケットは渡せないと言います。押し問答の末、チケットをネット購入した時のやり取りのメールをスマホに出しました。そのスマホ画面を操作して見ていた担当者は、このチケットはスマホ上で既に発行されている、そのバーコードで電車には乗れる、と言います。やれやれとホッとしていると、その職員が、都心までの直通特急が出ているとの事で、そのプラットホームと発車時間まで教えてくれました。スーツケースを引きずり、どうにか、その列車に乗れました。乗車して直ぐ、車掌の女性がチケットの確認に回って来たので、私が向かうつもりだった『ウィーン中央駅』は何駅目かを聞きました。すると驚いた事に、次の駅で乗り換えだと言います。えっ、空港からの直行特急が中央駅に停まらないのなら、直行特急てどんな意味だ!と思いながらも、迷ってる暇は無く、次の駅でひとまず降りました。ところが、乗り換えと言いながら、イメージしたような向かい合ったプラットホームは無く、人の流れに従って行くと、いつの間にか駅から出てしまいました(ドイツやオーストリアでは、切符のチェックは車内だけで、改札口が無い)。案内デスクのような所があったので、そこの青年に聞くと、3種類の乗り換えの電車がある、どれに乗るのか?と言う。そんなもん来たばかりで分かるかぁ、と思ってると、話の途中で、どっかに行ってしまいました。どんだけ不親切なんだ!とウィーンのイメージダダ下がり。やむを得ず、一旦駅を出て、改めてGoogle mapsで調べましたが、どうも要領を得ません。タクシー乗り場を探したが、それも見当たらない。結局、散々歩き回って、路面電車に乗り、どうにかホテルまで行き着きましたが、もう心身ともにヘトヘト。時間は、11時。何と空港でのロストバゲッジ騒動から2時間以上が経っていました。
ホテルに着いて一息はつきましたが、チェックインは午後2時からで未だ部屋に入れません。スーツケースだけはフロントに預け、ホテルのレストランで、ウィーン初の食事。カタール航空の機内食が、私にはCランク位であまり美味しくなかったので、ホットサンドが美味しく感じられました。
さて、何とかまともな食事にありついて、ホッとはしたものの、チェックインして部屋に入れるまでは、未だ3時間近くあります。早くシャワーをして、身体をゆっくり伸ばしたい気持ちでしたが、ここでへたり込んでいては、我が名が廃る(すたる)と思い、気を持ち直し、このホテルから数分の所にある『ベルヴェデーレ宮殿』の見学に向かう事にしました。(既にして、結構な長文になってしまったので。詳しくは、次の記事にします。)