さて、昨夏のツアー後半で、デルフトを訪れた翌日は週末に入り、ハーグ駐在中の知人に同行し、ベルギー北部でオランダとの国境にも近いアントワープに出かける事になりました。と言うのは、この知人のお仕事の関係でのお知り合いで、ウクライナ出身の方が侵攻騒動からの避難のため、このアントワープに来ておられ、仕事上の相談やボランティア的お手伝いのために、アントワープに出かけられる事になり、その出張に同伴する事にしたからでした。
アントワープまで、車でほぼ2時間の距離でもあり、この日はアントワープで一泊し、観光もする事にしました。これは後で調べて分かった事なのですが、ベルギーと言えば、首都ブリュッセルの知名度が圧倒的に高く、EUの組織機関も集まり、一種のヨーロッパの中心地的存在にもなっていますが、ベルギーの最大人口を持つ都市は、実は人口約52万人のアントワープであり、ブリュッセルは人口規模では18万人の第5位なのです。
経済的にも、アントワープ港はロッテルダム港に次ぐ欧州第2の港で、現在も欧州の貿易の玄関口であり、また、ダイヤモンドの取引量で世界一の都市として、 原石の85%、研磨済みダイヤモンドの50%、工業用ダイヤモンドの40%が、アントワープで取り引きされているようで、世界のダイヤモンド取り引き、研磨・カットの中心都市のようです。
観光的にも、美術史上最も成功した画家として、寡作のフェルメールとは対照的に、史上最大レベルの2000にもおよぶ作品数を残したルーベンスが活躍した地であり、そのルーベンスの像が建てられているマルクト広場を取り巻く市庁舎、あるいは、このルーベンスの名画のある聖母マリア大聖堂、そして、この名画を見て天に旅立ったネロとパトラッシュのストーリーで有名な『フランダースの犬』の舞台の地として多くの観光客を集めているようです。
しかし、この時のアントワープ・ツアーは全く予定外でもあり、何の準備も事前調査もしておらず、本当の行き当たりばったりでした。
直前にネット予約したホテルは、その名も『ホテル ルーベンス』。ネット情報を頼りに、たどり着いてみると、これがまた大当たりの清潔で過ごしやすい良いホテルでした。
しかも、ネット予約した部屋は、一階の専用庭付きのゆったりした部屋だったのです。(それにしても、これまで色んなホテルに泊まって来ましたが、庭付きの部屋に泊まったのはこれが初めてで、おそらくこれからも無いのではないかと思います。)
このホテル・ルーベンスは、アントワープの一つの中心的観光スポットのグロートマルクト広場とそれを取り巻くルネッサンス様式で有名な荘重な市庁舎や、中世のギルドハウスのあるエリアの直ぐ側だったので、まず、そのエリアを歩きました。
この日は、時間的にも遅くなり、日も落ち始めたことから、ひとまず直ぐ近くで海辺の景色の美しいレストランを見つけ、夕食にしました。
海辺に建つ小さなお城風の建物は、かつての小さなお城のようでしたが、現在は研修施設にしているようでした。
ベルギーの地元名物料理も美味しく頂きました。
このテラスレストランからの眺めが素晴らしく、とても気に入ったので、翌日のランチも同じ店に行ったほどでした。
学生さんのアルバイト風の店員さんが可愛い女性だったので、写真を撮ろうとしましたが、逃げられました(笑)
翌日は、ホテルの品数たっぷりのビュッフェ朝食で腹ごしらえをして、観光に向かいました。
まずは、アントワープ第一の観光スポットの聖マリア大聖堂に行きました。残念ながら、改修工事のため、外部の大部分は見えなかったのですが、聖堂内部の壮大な豪華絢爛さは素晴らしいものでした。
『フランダースの犬』でネロが天に召される前に見たとされるルーベンスの名画もありました。
そして、大聖堂の側には、ネロとパトラッシュの記念像が設置されていました。
また、大聖堂の近くには、ルーベンスの記念像が市庁舎を背後に聳えていました。
この後、このルーベンスの住居兼アトリエの跡を記念館にした『ルーベンスの家』にも訪れました。
このアントワープ・ツアーは、全く予定外に突然持ち上がったものでしたが、終わってみれば、ブリュッセルと並ぶもう一つのベルギーの観光都市を十分に楽しめた旅になりました。
それに考えてみると、その前日のデルフトへの旅と合わせて、この地方出身の二人の歴史的画家のゆかりの地を訪れた事になりました。しかも、その一人は、その生涯のほとんどをハーグ郊外の小都市で暮らし、ひたすら珠玉の数少ない作品を残した寡作で有名であり、他方は政治家・外交官としても国際的にも活躍しつつ、多くの弟子を抱えた大工房を指揮して大量の作品を残した事で有名な画家でした。こんな対照的な2人の歴史的画家ゆかりの地を同時期に訪ねた事になり、これもいい思い出になったと思います。