2022年、経済学部大学院3年目の前期は、急遽決まったオランダを中心としたヨーロッパ=ツアーとその準備に専念するため、半年間の休学手続きを取りました。
前稿の通り、このヨーロッパ=ツアーはコロナ禍も未だ落ち着かず、一方ウクライナ侵攻問題の勃発もあり、やや不穏な空気の中のヨーロッパ訪問になりました。そして、私自身、久しぶりの海外ツアーにもなり、宿泊施設問題、ネット接続の不具合等、数々のトラブルに遭遇し、その対応に右往左往した20日間でした。その顛末については、本ブログでも長々と書き連ねましたが、パリでのネット接続トラブルからの奇跡的とも言うべき復旧事件の報告まで書いて、少々書き疲れた感もありました。そんな状況もあり、ほぼ平穏だったツアーの後半について書き続けられぬまま、帰国後の呆然とした日々を過ごしました。
そして、ふと気がつけば、猛暑の夏休みを過ぎ、いよいよ大学院3年目の後期に復学する日が迫って来ました。後期の講義履修計画につき、大学院の関係者の方々とのご相談を進めたのですが、私の所属している大学院の学科全体が大きく改編されている事情もあり、しかも、休学の関係もあり、現所属学科の学生が私一人になっている状況から、教授から直接の個別講義をして頂けるという有り難い処遇になりました。しかも、その講義内容として、現在私が取り組んでいる修士論文のテーマに沿った問題の追及に関連する分野を選択させて頂くこととなりました。
そこで、私としては、現代資本主義経済において急速に重要度を増しつつある『無形資産』についての研究をテーマの一つとして選ばせていただくこととしました。このようなテーマの中で、<現代資本主義経済の『非物質的転換』>と言う極めて興味深い問題を追及しておられる京都大学の諸富徹先生の著書「資本主義の新しい形」を教材として研究を進めることになりました。その1回目の研究レポートを以下のようにまとめました。
諸富 徹 著『資本主義の新しい形』研究レポート(1) 11/6 ‘22
兵庫県立大学経済学部大学院 松賀正考
はしがき、および第1章(変貌しつつある資本主義)で、著者の主張のポイントは簡潔に表明されている。
本書の主張の基本的命題は「近年、資本主義経済は、大きな質的転換を遂げつつある、その転換の特徴は、『経済の非物質化』と言う言葉で表されるものである。」と言うものである。
第1章は、この近年における資本主義の転換の諸相を説明している。
本章中の「1.資本主義の本質」では、資本主義の変わらぬ本質的特徴と、一方その性格と特徴が根本的に転換しつつある事を述べている。
第2次世界大戦の終戦後ようやく経済復興の目処がつき始めたかに見えた1960年頃、東西冷戦の中ではあったが、資本主義陣営の経済は、資本主義の根本的宿命とされてきた3つの特徴、1)循環的に起きる経済恐慌、2)産業界における寡占化・独占化の進行、3)社会における格差の拡大、を一時的に克服したかに見えた。
1)についてはケインズ主義に基づく財政金融政策で景気循環をコントロールし、2)については独占禁止法により、3)累進税制や社会保障を通しての所得再分配による平等化、などの諸政策で資本主義の宿命を克服でき始めているかに見えた。
しかし、この戦後間もない資本主義経済の一時的安定期から約60年を経過した現代、当時の楽観論は否定されざるを得ない状況に陥っている。60年後の現在から振り返って、結局リーマンショックやITバブルの崩壊等、経済恐慌は続いたし、近年のGAFA等の巨大IT企業による独占化はさらに強まっているとも思われ、新自由主義の流れの中での所得税累進率のフラット化・法人税率の低率化などによって社会の格差拡大はより強まっているかに見える。
すなわち、第二次世界大戦後に復活したかに見える資本主義は、その本質的問題を相変わらず抱えつつ、しかし、その性格や特徴は大きく変質している。この変質の特徴として、1)デジタル化、2)ネットワーク化、3)グローバル化、4)金融化、等々の特徴が様々な形で議論されている。しかしながら、これらの諸々の現象の背後には、実は『資本主義の非物質化的転換』がある、と言うのが、著者の主張の根本的命題であると思われる。そして、本書の全体的命題は、この根本的視点から、現代資本主義に現れている現象と問題を分析・解明する事であると思われる。すなわち、現代の資本主義に特徴的に現れている諸現象はバラバラに見ていては本質的な解明は出来ず、この『非物質的転換』と言う視点からでなければ解明出来ないと著者は考えているのではないかと思われる。
そして、著者の考えでは、戦後の高度経済成長からバブル期に至るまで、先進諸国を圧倒した日本経済が近年急速に勢いを失い、欧米諸国に遅れを取るだけでなく、新興国にも追いつかれ、いや追い越されそうにすらなっているのは、日本がそれまでの『モノづくり』大国の成功体験にすがり、このような資本主義の本質的転換を見逃し、その対応に完全に遅れを取ってしまったからであると言う。
確かに、著者の言う通り、現代の資本主義の特徴をグローバル化やデジタル化等バラバラの要因で捉えるのではなく、『非物質化』と言うより本質的と思われる概念によって包括的に理解出来るとすれば、現代の資本主義にまつわる諸問題をより深く統一的に見直す事が出来るのかもしれず、それは同時に、近時の日本経済の失速の本質的原因に迫る事が出来るのかもしれない。そしてまた、私が研究テーマとしているEUアップル裁判に見られる現在の国際課税に関する矛盾を解決する新たな視点を与えてくれるのかもしれない。
そして、この経済の『非物質化』と言う概念は、1990年に刊行されたニコラス・ネグロポンティ(アメリカMIT大学メディア・ラボ所長)の『ビーイング・デジタル』と言う著書で主張され、インターネットの本格的普及が始まろうとするまさにその当時に非常に深い衝撃的印象を受けた<アトムからビットへ>すなわち<物質からデジタル情報へ>と言う経済価値の転換と言う概念に通ずるものかもしれない。
さらに著者は、現代経済の様々な要素の変化がいかに『非物質化』と言う動きに統合化されているのか、について述べている。しかしながら、著者の言う『非物質化』は、最近の経済の世界の変化の諸相のうち何が主導したのかを考える時、やはりデジタル化とネットワーク化、すなわちインターネットの急激な発達に依る所が大きいのではないかと考える。すなわち、インターネットの急激な発達と普及によって情報のデジタル化とネットワーク化が進み、それによってIT関連企業を中心に企業活動のグローバル化が進み、さらにこのような国際的企業活動の活発な資金移動に伴って金融化と言う現象が顕著になって来たものと思われる。
また、企業の投資対象として、従来、工場や土地、設備装置等有形固定資産が中心だったものが、コンピュータのソフトウェアやクラウドを通して集積されるビッグデータ等のデジタル資産とも言うべき無形資産(Intangible Property)の比重が高まりつつあることも指摘されている。
ただ、無形資産(IP)が全てこのようやコンピュータやインターネットに関連するものだけではなく、従来からあった例えば、特許権、利用許可権(licence)、さらには企業内に蓄積されている技術的ノウハウやスキル、組織としての人的資産、あるいは、その企業の商品に決定的価値を与えているブランド、商標権、あるいは、マーケティングに関わる技術的スキルや蓄積された膨大な顧客データ等も、この無形資産の中に含まれている。そして、これら全てもまた経済の『非物質化』の現象の一部と捉える事は可能なのであろう。しかし、これらの『非物質的』無形資産をすべて一括りにして同じカテゴリーとして扱っていいものかどうかについては、私には少し疑念が残る。特許権、商標権等の法律的に明確な規定があり経済価値も明確な基準を持つ従来からの無形資産に対して、ブランドやライセンスと言うものはやや輪郭がはっきりせず、その基準も不明確である。さらに、近年急速に増大しつつあるとされる研究開発に対する投資やそれに従事する人的資源のスキルアップに対する投資などは、その企業内での投資価値は実際に投下された金額から明らかであるが、その評価価値はあくまでその企業内での価値、その特定企業内でのみの評価であり、その企業から離れた独立した価値を持つものではない。したがってこれを客観的な価値として評価・測定する事は難しい。あるいはまた、企業の合併統合時に現れる『のれん』と言う会計上の差分として計算される特殊な概念もまた『無形資産』の中に分類されるが、これは具体的な無形資産と関連したものではなく全く違う代物だとされる。
さらにまた、現在、様々な形で論議の対象となっている同一企業グループ内での関係会社間での取引に関わる無形資産の評価となると殊にその客観的価値評価は難しく、場合によっては租税回避のために利用される恣意的な、場合によれば作為的な評価を与えられていると思われる例もあると思われる。
つまり、現代、企業会計において、従来の『固定資産』に対して、分類上『無形資産』に入れられる企業の資産が急増して、そのウェイトを増している事は事実であろうが、その事にのみ目を奪われるのではなく、その『無形資産』に分類されるものの本質や特性をよく見極めその性格によって明確な分類を行い、それぞれの特性に合わせた会計、統計的処理をしていく必要があると思われる。
私が関心を持っている国際的な租税回避問題においても、この無形資産が一つの大きなキーとなる概念になっている。しかしそこで行われている作為的な、場合によっては詐欺的な会計処理の背後には、このような様々な異質な性格を持つ無形資産の内容を区別せず、グループ企業内での恣意的な会計処理においてその表面的数値をそのまま額面通りに処理をする一種の粗雑さがあるのではないかと考える。
つまり同じ無形資産と言っても、従来から存在し客観的基準が明確な特許権や独立した企業間で行われる各種の利用権等、会計上の差分として計算される会計上の特殊概念である『のれん』、あるいは企業内で行われるソフトウェアや人的資産への投資、マーケティング に関連するブランド価値やそれを維持するための投資等、さらにはGAFA等のプラットホーム型企業における膨大な顧客とその取引に関するビッグデータ等々を判然と区別する必要がある。
そして、何より要注意なのは企業グループ内の会社間の取引の中で生ずるブランドやライセンスの権利、企業間で分担される研究開発のコスト等である。これらは基本的に客観的評価が事実上不可能でありながら、これらの無形資産のグループ内企業間での取引がしばしば悪質で巧妙な租税回避のスキームの中で使われる状況がある。
本書の以上の論議の中で、私が最も関心を覚えるのは、このような無形資産と一括りにされる概念における分類と区分、そして、それらの区分毎に、その処理の方法を再検討するべきではないか、という点である。
「2.の資本主義はどこへ行こうとしているのか」ではサマーズの提起した現代資本主義の長期停滞論を取り上げ、第二次産業革命により19世紀から20世紀半ばまで先進主要国で続いた歴史的な経済成長は、むしろ異常な現象であり、最近の低成長状況がむしろ本来の形ではないか、との主張が検討される。このサマーズの長期停滞論を裏付けるようなゴードンの主張すなわち第二次産業革命とそのインパクトのような大変化は一度限りしか起きない、と言う議論は説得的なものと思われる。例えば、馬車による移動からジェット機へのスピードの大変化は一度しか起きない、と言うのはその通りであろう。これに対しコンピュータやインターネットの発達を中心にデジタル化、情報化による第三次産業革命の経済的インパクトはそれほど大きくないと言う主張がされている。しかし、このような議論において、経済的計測や指標において、現代資本主義における非物質化と言う側面が見落とされているのではないか、と言うのが著者の意見である。では、どのような形と方法で、このような非物質化した経済的要素を指標や経済的数値に取り込んでいけばいいのかと言う具体的手法が問われるところである、と思われる。
次に、「3. 長期停滞と日本経済」の項で、現代の資本主義に見られる長期停滞の状況とこれが日本経済において典型的に見られる、と言う論は分かるが、この論議と現代資本主義の『非物質化的転換』とがどう関わるのであろうか。おそらく我が国においては現代における非物質化と言う資本主義の変質に対する対応が不十分であるために経済成長も停滞していると言う論議につながるのだろうと思われる。
ここまでの内容に関して、 私の関心からのポイントは、現代において『非物質化』してきたと言う経済的資産の中身をどのように分類し、その資産の評価をどのような形で数値化するのか、という点が問題である。