パリでネット難民になった夜は、ブリュッセルからパリへの移動にまつわる大騒動で心身ともにくたくたに疲れ、次の朝、目が覚めたのは最近の自分には珍しく遅い時間になっていました。そしてホテルの部屋から中庭に向いた窓の外を見ると、これも珍しく小雨模様でした。そう言えば、最初の到着地のオランダのハーグからの20日間のツアー期間を通して雨らしいものが降ったのは唯一この日だけでした。梅雨から初夏にかけてのこの時期、ヨーロッパでは、高温多湿のジメジメした日本では考えられない位過ごしやすい涼しさとカラッとした空気の日が続きました。
それだけに前日のネットトラブルで外界と遮断されたような状況の中、小雨模様の今日一日は部屋にこもって過ごすのもありかな、とも思いました。しかし、それではこの閉塞的に行き詰まったネットトラブルの解決は一歩も進みません。
昨日のソフトバンクからの受発信停止の通知の一番の問題点は、その解除の連絡を〈別の電話機から〉連絡するように、と言う要求でした。
スタッフの居ないアパートメントホテルに一人旅で泊まっている私のような立場から、これは極めて困難な条件でした。これもまた旅が終わってから改めて振り返って驚いた事ですが、何と私はこの20日間のツアーの最初から最後まで日本人観光客とはただの一人とも会わなかったのです。後に訪れたルーブル美術館でもベルサイユ宮殿でもエッフェル塔等、どの観光名所でも、ただの一人の日本人観光客を見た事もありませんでした。あれほどヨーロッパの観光名所に溢れていたはずの日本人観光客はまるでかき消されたように忽然と姿を消していたのです。
そんな状況にあった私がどうやって〈他の電話機から〉連絡出来るのでしょうか。そう言えば、昨日、難行苦行の末に辿り着いたアパートメントホテルにはフロントも無ければ、連絡のための固定電話も無かったのです。で、結局思いついた唯一の解決策としては、パリの日本大使館に駆け込む事位でした。
その時点で私が思いつく手段としては、それ以外はありませんでした。そしてもうネット検索が出来ない状況で地理的情報を得るほぼ唯一の手段(思えば、ネットがこれほど急速に広範に利用出来るようになってから未だ高々10年ですから、例えば半世紀前の私の学生時代の初海外旅行はそれしか無かった訳ですが)であるガイドブックでのパリ市街地図を見たところ歩いても半時間程度に見えました。
(後でネットで正確な情報を調べれば、それは大変甘い推定で、実際に歩いていれば1時間近く歩かなければならない距離だったのですが)
しかし2万歩以上を歩いた翌日で、しかも小雨の中の行軍を思えば、さすがにそれは無謀かもしれない、しかも日本大使館に駆け込んで問題が必ずしも解決するとは限らず、その場合の心理的ダメージは余りに大きい。そう考えて、それまでの「歩け歩け作戦」は引っ込め、地下鉄移動も調べたところ、何とわずか2駅先の凱旋門前の駅から近いと分かりました。
こうなったら、行動してみるしか無い、そう思い切って、小雨の中、近くの地下鉄駅に向かいました。パリでの初の地下鉄でしたが、何とか迷う事もなく、無事凱旋門近くのシャルル・ド・ゴール・エトワール駅に着きました。そして地下鉄駅から地上に出た瞬間、初めて見る凱旋門が目に飛び込んで来ました。それはブリュッセルの『小便小僧像』が思ったよりうんと小さく、ちょっとガッカリ感を味わったのとは反対に、その堂々たる威厳に驚かされるような巨大さでした。その時抱えていたはずの閉塞したトラブルも一瞬忘れ、思わずその近くに吸い寄せられるように近づきました。気がつけばホテルを出る時の小雨もほぼ上り、どんよりとした曇り空の下でしたが、思わずスマホをかざして写真を撮っていました。
しかし、実際はそんな呑気な観光写真を撮っている場合ではなく、ふと我に返って、再び日本大使館の方角に向け、雨上がりの道を歩き始めました。
その時、向こうから歩いて来る2人組みの青年が見えました。ある外国人からも聞いた事ですが、同じ東洋人の顔立ちをしていても、雰囲気で日本人はそれと分かります。直感的にそう感じて、思わずその青年たちに「あの、失礼ですが、日本の方ですか?」と声をかけていました。ちょうど1週間前、オランダに到着し、ブリュッセル、パリと過ごして来て、ハーグ駐在の知人以外に初めて遭遇した日本人であり、初めて日本語を話した相手でした。
聞けば、お二人はパリの大学に留学している留学生との事。久しぶりに細かなニュアンスも簡単に伝えられる母国語の有難さを感じつつ、思わず私のネット断絶に関する窮状を伝え、ソフトバンクのコールセンターへの連絡を〈他の電話機〉でするために、スマホをお借り出来ないか、とお願いしました。穏やかで親切そうなお二人からは即座に協力頂けるとの返事をもらい、その場で連絡を入れました。ソフトバンクのコールセンターには厳しい苦情を添えて接続停止の解除を求めました。そしてもちろんその直後から、私のスマホのネット接続が再開され、私は異国の地のネット難民から脱出できたのでした。
その後、聞けば、お二人も何かの問題があり、日本大使館に出かけたのだが、現在の複雑な状況の中で多くの人が押しかけており、対応待ちの時間があまりに長いので、一旦引き上げて帰る途中だったとか。もし、私がこの青年たちに会わず、そのまま日本大使館に向かっていたとしても、即座にネット断絶問題が解決していたかどうかは分からず、この2人の日本人青年との遭遇は、私の問題解決にとって奇跡的なチャンスだったのかもしれなかったのです。
この時の「いなづ」さんとのラインのやり取りです。
とにかく、この朝の奇跡的遭遇により、私は異国の地でのネット難民から復活し、再び、パリの数少ない日本人観光客の一人に戻る事が出来ました。