パリの夜のネット難民

さて、1日2万歩以上歩き回って、散々な難行苦行の末、ようやくパリのアパートメントメントホテルの部屋に辿り着き、何とか夜露をしのぐ寝所だけは確保出来ました。しかし何と言ってもパリのど真ん中、ルーブル美術館まで徒歩圏内の部屋です。キッチン付とは言え、辛うじてシャワールームと小さなキッチンが申し訳程度に付いている少し大きめのワンルームのような部屋でした。

とりあえず、大汗をかいた身体にシャワーを浴び、棒のようになった足をベッドの上で伸ばして、やっと一息はつきました。ベッドの上でぼんやりした時間を過ごし、さらにオランダに駐在している知人と長電話で相談したりしました。

気がつけば、時間は9時を過ぎていたようです。しかし疲れと興奮で食欲もほとんど湧かず、呆然としていましたが、このまま何も食べずに過ごす訳にはいきません。でも、適当なレストランを探してゆっくり食事をするような気分にはとてもなりません。第一、初めて部屋に辿り着いたばかりの周辺にどんな店があるのか見当もつきません。やはり明日の朝食も考えて、スーパーで買い物をする方が無難と思いました。ネットで周辺のスーパーを探してみると歩いて15分位の所に見つかりました。ただ出かけた場合、さっきは自力でドアを開けたのではないだけにもう一度ちゃんと部屋に入れるのか自体が怪しい状況です。だいぶ迷いましたが、しかしへたり込んでいる訳にはいきません。意を決して、部屋を出て、Googleマップを頼りにスーパーまで歩き出しました。

ところで、普段あまり意識しませんが、ヨーロッパ北部は意外に緯度が高く、何と東京の35度に対してパリは北緯48度、日本では北海道の稚内(北緯45度)より未だ北に位置します。その分、夏は極めて日が長く、夜が更けても外は明るいままです。

私が意を決して部屋を出たのは、もう午後10時近かったのに、この明るさです。私の泊まったホテルはルーブル美術館と同じセーヌ川の北岸、向かったスーパーは南岸にあり、途中シテ島と言う中洲を通り、中洲と両岸をつなぐ2つの橋を渡った先でした。

何とかスーパーにまで辿り着き、買い物を済ませ、スーパーを出た直後でした。道案内を任せていたGoogleマップが突然「ネットに接続していないので案内出来ません」と言うエラーメッセージを出して、案内が止まってしまったのです。え〜、なんで〜と焦りながら色々試しましたが、どうも回復しません。まあ、来た道を戻るだけだから何とかなるか、と歩き続けましたが、ついに夜のパリで迷子状態になってしまいました。

ただ、幸いに、ホテルの住所だけはスマホにメモしてあり、すぐ近くに大きな塔や像の立つ広場があった事は記憶していたので、近くまでは辿り着けました。

(ホテル近くのサン・ジャック塔)
(ホテル近くのシャトレ広場)

夜も更けており、人通りも減る中、ちょうどパトロールに通りかかった3人組の警官の手を借りるなどしてようやくホテルに辿り着きました。この後、建物玄関のドアをどうやって開けたのか、最早記憶も定かではありません。ただ、何かの拍子に不意に開いた事があったのを記憶していますので、この時もそうだったのかもしれません。後に何回かの試行錯誤の結果分かった原因は、一つにはこのドアの並外れた重さとセキュリティ解除時間の極端な短さである事が分かりました。日本の建物のドアを開ける時の重さが例えば軽自動車のドアとすると、このパリの建物のドアの重さはまるで米大統領専用の装甲車の如く重いのでした。しかも、セキュリティボタンを押した直後にしか開きません。だから、セキュリティボタンを押すや否やその重い玄関ドアに全体重を乗せる勢いで力をかけないと開かないという事が分かって来ました。

何はともあれ、再び夜の数時間の外出からようやく部屋に戻る事だけは出来ました。問題は、何故突然ネット接続が切れたのか、そしてこれから、ネット接続が確保出来るのかと言う問題です。

今回のツアーで、私は当然各国の地元で通信回線と繋がるモバイルWi-Fiの契約もし、そのWi-Fi機器も持参していました。基本的にこのネット接続を中心にしていたのですが、この時、このWi-Fi機器の充電が上手くいかない事に気付きました。充電ケーブルの接続口が緩くなって接触不良を起こしていたのです。

このケーブルの予備も持って来ていたのですが、何とブリュッセルで失くしたセカンドバッグに入れており結局このWi-Fi機器は使えない状態になっていました。

そして普通ホテルの部屋でホテルが用意するWi-Fiが使えるはずです。ところが、このホテルのWi-Fiも部屋に入った時点で試したのですが上手くいきませんでした。その時は、他の2つの手段があるし、と軽く考え、直ぐにホテルの予約サイトに問い合わせる事もしませんでした。そして、この夜、スーパーに出かける時は、国内で常用しているソフトバンクの『海外パケ放題』というサービスでつないでいました。その言わば最後の手段が突然、何の予告も無く途切れたのです。現代生活のあらゆる面でネットの利用が極めて広範に広がっている事は誰もが実感しているところですが、殊に海外での生活においてネットの利用はほとんど死活問題です。情報検索が出来ない事は致命的に困る問題ですが、今時、ホテルの予約も、現地の新幹線や飛行機のチケットなど現実的にネット以外では取れません。殊に海外一人旅をしていて、突然ネットが使えなくなるのは、ちょうど潜水中に酸素の供給が断ち切られるようなものです。

なぜ突然、ソフトバンクの海外サービスが使えなくなったのかはその後直ぐに理由が明らかになりました。ホテルの部屋に戻り、そのネット切断の理由を色々考えていたところ、ソフトバンクからこんなショートメールが届いたのです。

この通信料に関しては、実は前稿『出発からハーグ到着まで』でも書いた状況の中で発生したものでした。しかし、後日、帰国した後、ソフトバンク社との何度かの長時間の電話で、航空機内での通信での想定外の手違いから発生したものである事をソフトバンク社が認め、その請求の大半は取り消される事になりました。しかし、それに加えて、このような突然の形での通信停止処置が利用者にとっていかに危機的な状況を招きかねないのかについても、帰国後サポートセンターへの連絡の際、重大なクレームを入れ、今後の対応を善処する旨の返事はもらいました。

いずれにしても、その時、直面していた最大の問題は、この通信停止の解除をするためには〈その他の電話機〉から連絡する必要があった事です。しかも不運な事に、私はその常用していたメインのiPhone13以外に、もう一台のiPhone7を持って来ていたのに、それをブリュッセルの駅頭でセカンドバックごと失っていたのです。したがって、通信停止解除のための連絡手段も無い状態でした。心身ともに疲れ切った状況の中で、その閉塞状況を考え、「我が人生、長いこと頑張って来たけど、こんな異国の地でついに行き詰まる事になったのか」との絶望感すら湧いてきました。

そのパリの夜、私は突然ネット難民になったのでした。しかし、その日1日激しく動き回った心身の疲労もあり、この夜はそのまま眠りに落ちていました。

投稿者:

matsuga_senior

《松賀正考》大阪大学外国語学部英語学科、歯学部卒業。明石市で松賀歯科開業。現シニア院長。 兵庫県立大学大学院会計研究科を卒業し会計専門修士。さらに同大大学院経済学研究科修士課程を卒業。その修士論文で国際公共経済学会の優秀論文賞を受賞。現在、博士課程在学中。