( English Version is HERE )
前投稿で書いたように、今春、同じマンションのごく親しい知人が、6月から数ヶ月ヨーロッパ駐在する事が決まりました。その話を聞いて、このところの長いコロナ禍で事実上不可能に近かった海外ツアーへの思いが目覚めて来ました。そして、そう言えば、私の初の海外ツアーが歯学部時代の最後の自由な夏休みに思い切って出かけたヨーロッパツアーであった事を思い出しました。当時の資料をまとめていた古い包みを開けてみると、それは1975年7/18から8/16までの約1ヶ月で、パリ経由でロンドンに向かい、その郊外の有名な大学都市オックスフォードで2週間の語学研修を受けた後、ヨーロッパ周遊チケット(ユーレイルパス)を使っての2週間の自由旅をしたものでした。
改めて振り返って、貧乏学生だった当時よくこんな大胆な海外旅行を敢行したものだと我ながら呆れます。母子家庭に育ち、さらに唯一の家族である母親をその5年前の21歳の時にガンで亡くし、私はたった一人の生活を家庭教師などのアルバイトで支える、いわゆる苦学生だったのです。しかし幸いな事に最初英語学科で学び、その後医系の歯学部に進んだ経歴に信頼を頂いたのか、家庭教師や塾講師の仕事の依頼を数多く頂き、いつの間にか、当時の大卒初任給レベルの収入を得るようになりました。(ネットで調べたデータによると、当時の大卒初任給はほぼ9万円、現在の貨幣価値では16万円位だったようです。)
そして、歯学部5年生となった1975年には、幾ばくかの貯金も作っていたようです。当時の貨幣価値でヨーロッパ1ヶ月旅行の費用がどれ位だったのか、たまたま残していた当時のヨーロッパ旅行ガイドブックで調べてみました。一例としての24日間で57万円と言うツアーが書かれています。
私が参加したツアーは大学生協が企画したもので、やや格安だったと思いますが、前半の2週間のオックスフォードでの語学研修や欧州周遊の鉄道チケット(ユーレイルパス)も含まれていたと思うので、やはり50万円位はしただろうと思います。(現在の貨幣価値では、その1.8倍位のようなので、現在で言えば、90万円程度になるでしょうか)
実習等で多忙な上、高価な医学関係の教科書や実習材料費を捻出しつつ、多数の掛け持ちのアルバイト収入からそれだけの貯金をした事も我ながら驚きますが、卒業まで1年半を残す学生生活の最後の夏休みに、おそらくその貯金を使い果たすような海外旅行を敢行した事も大胆であったと振り返って思います。
その時の気持ちを思い返すと、何より英語学科時代から学んだ英語圏の文化の学習を通して抱いた欧米の地への憧れがあったのだと思います。そしてその地を自分の目で確かめてみたいと言う強い気持ちに突き動かされていた事が第一でしょうか。それに、若さの特権か、また高度経済成長の真っ只中にいた当時の日本の空気の中で、未来への不安等は抱かず、歯学部を卒業すれば、後は何とかなるという極めて楽天的な考えだったようです。
さらにもう一つ、この学生生活最後のチャンスを活かすべきだと言う強い思いがありました。歯学部を卒業し歯科医としての社会人生活が始まれば、こんな長期の休暇を取り、世界的な視野で見聞を広めるチャンスはまず訪れないだろうと確信に近い気持ちで思ったのです。そして、その時の私の判断は間違っていなかったと思います。その後、海外の学会参加の機会や家族連れの短い観光旅行には何度か出かけるチャンスはありましたが、いずれもせいぜい1週間程度の慌ただしいスケジュールのものでした。何より感受性の鈍磨していない若い青年時代に日本とは異質の社会に実際に触れた貴重な1ヶ月は何物にも代え難い経験だったと思います。
さて、懐かしい学生時代の初海外ツアーを敢行した当時の状況を振り返るだけでかなりの字数になってしまいました。その旅の具体的な思い出については、また稿を改めたいと思います。