たまたま最近『スマホ脳』というベストセラー書を読み始めました。この書は、そのタイトル通り現代人にとって不可欠なアイテムになり切っているスマホが人類と言う存在にとって、どのような意味を持っており、その心身両面にどのような影響を与えているのかをテーマにスェーデンの新進気鋭の医学系論者が論じたものです。
しかし、その冒頭の部分で、作者は、現代人のスマホ利用による新しい生活環境の変化とそれに対応する人間のあり方についての検討に入る前に、長い人類史の中での、ごく最近の変化に対する現代人の適応のズレとそれによって現代の人類が直面している別の問題、すなわち《現代人の過食・過剰栄養と現代人特有の慢性疾患の関係》を参照例として論じています。
この部分を読んでいて、最近ダイエットに取り組んでいる私に強く感ずるところがあったので、自分なりの考えをまとめてみました。
全ての生物は、その生物が置かれた環境の変化への対応に成功した個体のみが生き残り子孫を残す形で、そのような環境の変化に適応するような進化が進んで行きます。いわゆる『適者生存の法則』です。そして人類の長い歴史を振り返れば、その99.9%において人類が直面して来た最大の脅威は飢餓でした。食物を得られないと言う危機に直面した個体は生き延びる事が出来ないわけですから、食物が手に入るチャンスがあれば何が何でもこれを摂取し常に襲ってくる食物の欠乏、すなわち飢饉に備えて、食べられる時に食べられる限り食物を取って体内に脂肪として蓄えると言う事が環境への適応だったのです。そして、それに成功する個体のみが生き残る事が出来ると言う形で、長い人類史を通じて、目の前の食物を目一杯食べて体内にエネルギーを蓄える事は至上命令でした。そのために、食物を食べた時に強い快楽が得られる形に進化して来たのです。つまり、人間が美味しいと思う食物を得て、これを食べた時に感じる強い本能的悦び、快楽は、いつ食糧の欠乏が襲い飢餓状態に陥るか分からないと言う厳しい環境条件が長く続いた人類史上で、食料を得て生存のエネルギーを補給し、出来ればこれを蓄積しなければならないという切実な欲求が満たされた事への満足のシグナルだったのです。
ところが、人類史の長さでいえば、0.1%以下でしかないごく最近の数十年で、人類と言う生物と飢餓と言う危機との関係は激変しました。すなわち現代の我々は、多少の所得の差はあれ、ほとんどの個体が必要な食物はいつでも入手でき、少なくとも先進国において食物が得られないと言う危機に直面する事は無くなったのです。現代の文明社会では、必要な食物が得られないという危機に直面する事はほとんど無く、必要な食物は何時でも得られる環境の中にいます。しかし、そのような環境が実現したのは近年のわずか数十年間の事であり、現在生きている世代でも、その幼児期には未だ食糧は不足しがちであり貴重なものであった時代の記憶を残しています。そして飢餓の危機へ対応して、食物を口にした時の強い快楽は体内の遺伝子にしっかりと組み込まれています。だから目の前にカロリーの高い、エネルギーの蓄積が出来る可能性のある食物があれば、それを口にする事の強い快楽のために、それを目一杯摂取すると言う衝動に支配される傾向が我々の体内深く本能の一部として埋め込まれているのです。
そのような環境の激変の中で、人類史の大半の時期を支配して来た「飢餓への恐れ」とこれに対する適応との間に大きな矛盾が生じており、その矛盾が現代人に、これまでの人類史上には無かった新しい問題を生み出しています。すなわち、それが現代人の過剰な食物摂取とその結果としての過剰栄養による様々な慢性疾患です。つまり、現代人の多くは最早、飢餓や栄養不足によるのではなく、過剰栄養が生み出す新しい形の種々の現代的慢性病によって健康を損ない、寿命を縮める結果となっているのです。
このような現代人にとっての環境の激変による新しい問題を避けるために必要なのは、まず、そのような環境の劇的変化を改めてしっかり認識し自覚する事から始まるでしょう。そして、長い人類史を通じて我々の中に深く植え付けられ、一種の本能と化している食物への執着を自覚的に見直す必要があります。つまり我々の中に遺伝子的に埋め込まれている食物摂取の快楽をただ暴走するに任せてはならないのです。それは現代人にとっての新たな滅亡への罠と言えます。美味しいものを食べて美味しいという快楽を得る、という事が現代の人類にとって放任し得る自然な事ではなく、それは現代の激変した環境においては、我々の体内の奥深くに植え付けられた危険な誘惑であり、様々な慢性疾患に至る転落への道なのです。この事を自覚して、これを避ける事が賢明な人間の採るべき行動と言えるのではないでしょうか。