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前稿では、ちょうど10年になる私とスマホ(iPhone)との関わりを振り返ってみました。その歴史を通して、改めて感じる事は、まず第一に、スマホは、最早単なる進化した携帯電話機では全くない、という事です。それは今や現代人が常に自分を取り巻く人々や社会的グループや興味関心を共有する人たち、いや正にこのコミュニケーション=ツールで情報のやり取りを出来るあらゆる人々と常時継続的に密接につながり合う結節点になっています。しかもその範囲は、まさにグローバルな世界的規模に広がっています。人々はこの小さなネットワーク端末に吸い付けられるように、四六時中手元に置き、絶えずその小さな画面を覗き込み、操作し、必要があれば即座に反応を返します。
ここでは、スマホは、最早、単なる「一対一の音声のみによる同期通信の道具」という従来からの電話機とは全く異なる新しいものであり、人間のコミュニケーションのあり方を抜本的に変革する新しい情報交換端末に変身していると思われます。
2007年アメリカで初めて発売されるiPhone発表のプレゼンテーションの中で、この事をApple社のSteve Jobsは、明確に告げています。まず、Jobsは、Apple社が、真にユーザーフレンドリーな革新的なPCとしてMacintoshを発売して、パーソナル=コンピュータの世界を一変させたこと、その後、さらにデジタル音楽プレイヤーとしてのiPodを生み出し、iTuneを通してのデジタル音楽配信というシステムによって、音楽流通業界を抜本的に変革した事を誇らしげに語ります。
そして、2年半に渡る準備期間をかけ、過去の二つの革新的商品と同レベルの画期性を持つ3つの新製品を発表すると言います。一つは、これまで無かったような革新的な携帯電話機、一つはフルスクリーンで操作する新しいiPod、そして、強力なインターネット接続機器。しかも、これらの新製品は、3つの機器としてではなく、一つの画期的な新製品として発売されるのであり、それが、Apple社のスマートフォン『iPhone』であると。つまり、Apple社が満を持して世に出すiPhoneは、その開発の最初から、単なる携帯電話機の拡張版ではなく、フルスクリーンで操作出来る音楽・映像プレイヤーであり、画期的なインターネット利用端末として生み出されたのです。そして、彼は、この驚異的な機能を実現させるため、iPhoneは、デスクトップコンピュータと同等のハードウェアと最新レベルのOSが搭載されると言います。
この言葉の意味することは重大です。つまり、コンピュータの進化は、かつて隆盛を誇ったマンモスのような巨大なメインフレーム=コンピュータが、個人の机上に収まるデスクトップのパーソナル=コンピュータすなわちPCという小動物のネットワーク連携に敗れ去った後、さらに何処にでも持ち歩ける大きさと軽さを実現したノートPCへとダウンサイジングを加速させた果てに、ついに手の平に収まるサイズへと、激烈な進化を遂げた、と彼は宣言したのです。つまり、『スマートフォン』という如何にも『電話』っぽい名前に目眩まされやすいのですが、スマホは、実はれっきとした高性能コンピュータなのであり、「コンピュータを手の平に」という20世紀のSF的夢の驚異的実現なのです。経済哲学者エンゲルスの有名な言葉に「量は質に転化する」という命題があります。量の変化があるレベルまで進み、あるレベルを超えると、最早、単なる量的レベルに止まらず、その境界点を境に一挙に質の変化が起こるという事実を指したものです。
つまり、「我々にとって、スマホとは何か」という問いに対して、「それは劇的な技術的進歩によって、究極のコンパクト化を実現した最新のコンピュータである」と答えるべきでしょう。一般的な人々にとって、スマホは多機能な電話機、と見なされがちですが、それはおそらくスマホという機器の本質を取りちがえることになると思います。あらためて繰り返せば、スマホは手の平サイズにまで究極のダウンサイズ的進化を遂げたれっきとした最新の高級コンピュータなのであり、個人が簡単に持ち歩ける携帯性を獲得したことで電話機能が付いたものと考えるべきでしょう。
スマホがコンピュータであることを象徴するのは、スマホに iOS と Android という二大OSがあり、その覇権を争っているという事実です。ちょうどデスクトップPCの最盛期にMacOS とWindows という二大OS が激烈な争いを繰り広げたのと同じです。つまり、巨大なメイン=フレーム → 小型デスクトップPC → 手のひらサイズの超小型PC、というような段階を経てコンピュータが究極の小型化を達成し、それがパソコン時代ではありえないほどの一般的普及をしたのがスマホというものの本質であると考えるべきでしょう。
ここで、広範な人々へ「一般的普及」をしたという事実も重要です。ここでも、「量が質に転化する」現象が起きているのです。空調の効いた巨大な専用室を占有していたメインフレーム=コンピュータが個人の机上に乗るPCに置き換わったとはいえ、やはりPCはある種の知識と技術的関心を持った人々でなければ扱いにくいレベルの技術商品でした。だから、秋葉原や日本橋はパソコンの街になり、町にはパソコン教室が出現し、パソコン=オタクがしたり顔で初心者に講釈を垂れる風景があちこちで見られたのです。つまり、PCが主流の時代、普及したとはいえ、それはやはり一定の技術的理解を持って扱えるレベルのユーザーの範囲に止まっていました。PCの激烈な二大OS戦争で、結局 Windows が勝利した背景には、結局、PCがこのような特定のユーザーグループの使う機器だったということがあります。全てをオールインワンでスマートに提供するApple社のMacではなく、多少粗雑でも、見栄えは悪くても、ユーザーの特有のカスタマイズを許容する姿勢のWindows の自由度の高さが支持される結果になりました。
ところが、そのようなある意味特定の技術的関心を持つグループの人々に限定されず、ごく普通の一般人の誰もが手にし、日常的に使う道具として、『スマホ』が普及し始めると、人々は、単に扱い易く手間がかからず、利便性を持ったオールインワンで提供されるスマートな道具を求めるのであって、それに特別なカスタマイズをして様々な機能を組み合わせる事などを求める事はありません。それは、PCの世界の覇権争いで、その革新性で先行していたApple社のMacintoshが後追いの物真似から始まったWindowsに追いつき追い越され、PCの世界の覇権をMocrosoft社に握られた大きな理由でした。しかし、極小型のコンピュータとして、スマホが生まれようとした時、Apple社はSteve Jobs の鋭い先見性によって、いち早くオールインワンとして完成度が高く一般人が抵抗なく使いこなせるスマホとしてのiPhoneを市場に投入し、広範な一般人の支持を得る事に成功したのです。PCの世界の覇者となっていたMicrosoft社のBill Gates は、おそらくこのIT界の時代的大転換を見逃しました。(Microsoft 社が、その社名が示すように、企業の活動ドメインをソフトウェアに絞っており、Apple 社のようにソフト・ハードを一体として製造する体制を持っていなかった事も大きな要因でしょうが・・)今や時代の焦点となったスマホの世界にMicrosoft 社は影も形なく、Apple社のiPhoneのOSであるiOSとこれに対抗するGoogle社のAndroid OS との一騎打ちの様相を呈しています。
今、この30年来のITの世界を振り返って、改めて思うのは、巨大なメイン=フレームコンピュータから、机上のデスクトップPCへ、さらにスマートフォンへの流れは実は一つの流れだと言う事であり、この流れの中で、際立った先見性と革新性を持った製品を生み出し続けたApple 社とこれを率いて来たSteve Jobsという人物の特異性です。彼の存在無くしては、21世紀のITの世界は、全く別の様相を呈していたであろう事は間違いないと思います。
《追記》
なお、Apple社の経営とiPhoneについては、経営学の研究レポートとして、まとめております。
また、巨大メインフレームからPCとネットワークへの大きな時代転換を目の当たりにして来た私の印象記を以前、6つの投稿記事にまとめています。ことに最後の(おまけ)は、この投稿の焦点である『スマホ』につながるものかな、と思います。ご参考まで。