4月初旬の大学院入学式は、開業歯科医という、どちらかと言うと一匹オオカミ的な意識の中に、久しぶりの組織所属感をもたらしてくれました。組織所属は感覚だけではなく実質的生活にも及んでおり、入学式の翌日には、早速、各科総合の健康診断があり若者たちの中に紛れ込んで列に並びました。
三宮のマンションに移住してすぐ、ごく近くに大変親切で、きめ細やかな診察を頂ける内科の先生と出会い、定期的な診察を受けていたので、何も気にせず健診の科目を回っていたのですが、簡易尿検査で異常値が!尿中の潜血反応が+5と高い数値が出ていました。それでも、さほど気にしないでいましたが、その後、大学の保健室からは再検査の強い指示が出ました。急いで、信頼するかかりつけ医の先生に相談。過去数カ月の検査データを見返して頂くが、今回問題になった潜血反応は、いずれも異常なし。その場でして頂いた尿検査でも異常は出ません。首をひねりながらも、今回の+5という異常値はかなり要注意レベルという事で『やはり、この際、泌尿器科の専門施設で、詳しい検査を受けましょう』という事で、紹介状を書いて頂きました。
紹介頂いた病院は、三宮駅のすぐそば、ここでも都心の利便性の高さを感じつつ、早速受診いたしました。紹介頂いた先生は口数は少ないものの誠実そうな雰囲気の方で、早速下腹部のCTを撮ることになりました。考えてみると、開業歯科医として、医院に市内初の頭部CTを導入し、多数の患者さんのCT撮影をしてきましたが、自らの、まして腹部のCTを撮るのは初めての経験です。やや緊張感を覚えながらの撮影でしたが、撮影は10分程度で終わり、画像診断を元にした診察となりました。スライスされた断層画像を見て行くと、腎臓の周りにボツボツと何だか賑やかな膨らみが見えます。こりゃ何もの?と身構えましたが、先生はいたって冷静で、『これはよくある嚢胞という単なる液体が溜まった袋状の組織で問題は無いと思われます。ただ、これとは別に腎臓内部の実質部分に黒い影があります』との言葉に、思わず覗き込みました。確かに腎臓内部に数センチ程度の黒い影があります。『これが、良性のものかどうか、造影剤を入れての精密検査をした方がいいですね。』との言葉に、ショックが無かったと言えばウソになります。その時点で、私が思ったのは、『こりゃ、9割方アウトだな。さて、どうするか・・』と言うものでした。
翌週に精密検査の予定となりました。診察の最後に先生が言われた『もし悪性でも、今は腹腔内視鏡手術で、楽なオペが出来ますから、大丈夫ですよ』と言う言葉が、十分なリアル感を持って伝わってきました。帰宅後、まずやったのは、今の時代、誰でもそうでしょうが、PCにかじりついてのネット検索でした。ただ、特にジタバタする気分ではなく、不安に駆られると言うこともありませんでした。国民の半分が、それで死亡すると言う病気に当たったところで、それは今更焦るような事ではないだろう。不死の身を持たない人間である以上、いずれ死は訪れる、人間は遅かれ早かれ、それを受け入れるしかない。まあ、波瀾万丈の人生をよくぞ生き延びた。後は、残された人生の時間をいかに生き、身の周りを整理して、出来るだけ、後に残す人たちに負担がかからないようにするだけだ、という気持ちが湧いてきました。
まあジタバタしてもしょうがない、今、自分が出来ることは何か、出来ることから準備しようと考えました。この際、尻込みしても始まりません。悪性のものであれば、広がる前にスッパリ取ってしまうのが一番だ。幸い腎臓は2つある、こうなるとオペだな、腹腔内視鏡手術が可能かもしれない、という話だった。それで済めば侵襲も少なくて回復も早いだろう。でも一週間の療養期間は最低必要だろう。大学院のスケジュールとどう調整するか、等々と考えは広がりました。にしても、大学院生活がスタートしたばかりで絶好調だったのになぁ・・。好事魔多しとは、この事か、と思いました。
再検査で悪い結果が出て、病気が進行していたら、自分の身の始末も考えなくちゃいけない、まあ、2年位の余裕はもらえるかな、その間にやれる事は何で、何をしなくちゃいけないのか?それにしても波瀾万丈だった我が人生、自分なりに精一杯生きた、後悔が無いと言えば、ウソになる、そう、いくつかの後悔はある、おっとこれは、マイウェイの歌詞だな・・。
(Regrets, I’ve had a few/But then again, too few to mention /I did what I had to do/And saw it through without exemption)
まあ、そんなカッコのいい人生じゃなかったけど・・。
しかし、病気のステージが進行していれば、既に他の部位にまで散っているという事もありえる。もう少し早く分かっていれば、それも防げたかもしれないのに。でも、大学院に入ったから検診があり、こんな事が分かった訳だし、しょうがないか。いや、生活を立て直して、自分のペースで前向きに人生に取り組める体制が出来ているから、こんな立ち向かう気力が出て来る。もし、前のグズグズの生活をしていれば、もうその場で崩折れてしまっていたかも。そう思えば、今のタイミングで分かってよかったのかも・・。
色んな想念が頭をよぎりましたが、再検査までの数日、もっぱら実務的な対応策の検討に気持ちを集中させて過ごしました。そう言えば、ガン保険も入っていたけど、入院保障はどうなってたっけ?通院保障はあったっけ?身の回りの世話をお願いするヘルパーさんを手配する必要があるかも、オペはどこでやってもらったらいいんだろう?検索では、関西労災病院が、オペ実績が豊富そうだけど・・。
いよいよ造影剤を入れての精密検査の当日、どんな結果であろうとストレートに教えてもらって、現実的な対応策を直ちに講じようと、気持ちを決めて病院に向かいました。人生の一つの分岐点を迎える気分でした。再検査は意外と簡単で、造影剤を点滴で入れる作業が追加されただけで、すぐに終わり、診断へ。『結果がアウトでも、ストレートにお願いします。』と私が口にする前に、先生の冷静な言葉が。『ああ、これは大丈夫ですね。組織内に造影剤は入って行ってません。良性と判断しても間違いないでしょう。』
その時のホッとした気持ちをどう表現すればいいでしょう。<十分の一の賭け>に勝ったな、というのが、最初の気持ちだったでしょうか。九死に一生を得るとはまさにこう言う事を言うのでは、と思いました。次に思い浮かんだのが、「さんま」が言ったと言う『生きてるだけ丸儲け』と言う言葉でした。一旦は手を離れるかと思った人生の何年かが、丸々戻って来たような感覚を覚えました。TIMEと言う、決して取り戻せない貴重な資産を神様からドンと大盤振る舞いされた気分でした。
この貴重なプレゼントを粗末に扱っては、きっとバチが当たるだろう。思い切り前向きに生かすことが一番のお返しになるだろう、と思いました。
実は、この日午前中に終わるという予定の再検査の後、大阪在住の叔母に会う予定をしていました。9割方はアウトだろうから、比較的生活時間に余裕がある叔母に手伝ってもらうことがあるかもしれないと考えて、先回りして相談する約束をしていたのです。ただ、相談内容については何も伝えていませんでしたので、大阪のレストランで会った叔母は、ちょっと不安げでした。私から、事の顛末を話し終えると、叔母は大変喜んでくれながら、しみじみ言ったのは『それにしても、あなた、運が強いわねぇ』と言う言葉でした。確かに、人生のこの時期に十分の一(かとも覚悟した)賭けに勝つというのは、運なのかもしれないと思いました。幸い、新たに立て直した人生の取り組みをそのまま継続してもよい、との神様からのお許しを頂けたのだ、と思い、これからの日々をさらに大事に過ごさなくては、と心に決めた貴重な事件となりました。
(おまけ)
ところで、ポール=アンカが作り、フランク=シナトラのヒット曲になった My way の歌詞は中々深いですよ。布施明とかが歌ってる日本語訳の歌詞が上っ面だけの表現になっているのはちょっと残念ですね。まあ、訳詞はメロディに乗せないといけないので無理もないですが。
(この原曲の誕生話として、大御所になって大きなヒット曲のなかったFrank Sinatra が、Paul Anka に頼み込んで楽曲提供してもらい、目論み通り大ヒットして彼の代表曲になったというような逸話を何処かで読んだ記憶があります。Paul Anka って若い頃は、Dianaとか You are my destiny とか、’50や’60年代の懐かしいヒット曲を連発して、キャリアの後半で、こんな仕事をするなんてカッコいいですね。)
Paul Anka 自身も含め色んなシンガーがカバーしている名曲ですが、私のお気に入りは、Andy Williams かな(実演はこちら)。Andy らしいソフトで、そんなにクサくない自然な歌唱がいいです。
And so I face the final curtain
My friend, I’ll say it clear
I’ll state my case, of which I’m certain
I’ve traveled each and every highway
But more, much more than this
I did it my way
But then again, too few to mention
I did what I had to do
And saw it through without exemption
Each careful step along the byway
And more, much more than this
I did it my way
When I bit off more than I could chew
But through it all, when there was doubt
I ate it up and spit it out
I faced it all and I stood tall
And did it my way
すべては心の決めたままに