今年のゴールデンウィークは天候に恵まれて快適な日が続きます。勿論この期間大学院はお休みですが三宮界隈の書店などを巡りちょっとした買い物をして歩くだけでも今日の万歩計は一万を超えていました。それにしても三宮周辺の商業施設の集積と利便性には改めて驚きます。
帰宅後は、気分を変えて、『公会計 概論』のレポートにかかりました。
この課目のレポート課題はテーマが広く、最初は戸惑いましたが、大学院らしく自分の考えをまとめればいい、と言う教授の言葉に甘えて、自由な発想で書いてみました。
自由な立場でものを考え書くのは楽しいです。
初めて提出した第1回分と次回、来週に提出予定のレポートを上げてみます。
第1回課題 著者によって様々な「会計の定義」が見られるが、会計をどのように定義すべきか?なぜそのように定義すべきか?
会計の定義を考える時、会計学とその技術的基礎となった複式簿記の誕生と発展の歴史をよく認識、理解をする必要があると思われる。「会計学の誕生ー複式簿記が変えた世界 (渡邉 泉 著、岩波新書)」はその歴史を興味深く要領よくまとめており、会計学の生成、発展の経緯を歴史的側面から理解する助けとなった。
歴史的に考える時、近代的会計の基礎的技術である複式簿記の技術と学問としての会計学は中世イタリア商人の帳簿から始まり、近世オランダや近代イギリスの経済的発展における実務的ニーズの中で、洗練・発展し、戦後のアメリカにおける実務•学問の両面での精緻な研究を通して現在に至る学問的整備が進んできた、と要約できると思う。このような歴史的発展の経緯の中で「会計の定義」もいくつかの大きな概念的変遷を重ねつつ整備されてきた。
今回の課題に関連して、以下の著書の関連部分を参考にした。
・財務会計入門 田中建二 著 (中央経済社)
・入門 財務会計 興津裕康 著 (森山書店)
・現代会計学 新井清光 著 (中央経済社)
・財務会計の基礎理論と展開 浦崎直浩 著 (同文館出版)
これらの会計学入門書を通して、私が理解した『会計』の定義は以下の通りです。
1)人間の様々な経済活動を、貨幣単位を基準として
2)複式簿記という技術的システムを用いて、記録、整理し
3)継続的事業活動を一定期間で意図的に区切り
4)この期間における期間損益を
5)複式簿記という歴史上画期的なシステムによって
6)取引きに伴う資産•負債の変動という経済実体的裏付けを連係させて
7)財務諸表という、簡潔にして多くの情報を表現できる文書にまとめ
8)これによって経済的事業活動に関わる多くの利害関係者に信頼性の高い報告と説明を行い、<財務会計>
9)これらの経済的事業活動への投資を行う関係者に客観的な裏付けを伴う判断資料を提供し
10) 同時に事業体内部の管理運営のための基準的データを作成、報告する<管理会計>
広い定義としては、以上のような一連の活動を総じて『会計』という。中でも、複雑な経済活動を整理、分析し、関係者に『報告』を行う、ということが、その本質的機能であり、『会計』の英語表記の Account が account for (説明する)から来ていることもその本質を示すものであると思われる。
第2回課題 <政府の失敗を解決するためには何をすべきと思うか>
『政府の失敗』という言葉を一般名詞として単独に捉えては、意味が広範過ぎて、議論の対象にはならないであろう。この言葉を経済学的、会計学的な文脈で使う場合、おそらく『市場の失敗』という言葉と対をなすものとしての概念であると思われる。
『市場の失敗』という概念の背景には近代資本主義の基礎をなす思想を生み出し、経済学の始祖ともされるAdam Smith が提唱した市場絶対主義とも言うべき思想、すなわち<市場(マーケット)>は『神の見えざる手』によって支配されており、これに政府が介入することは誤りであると言う考え方に対する批判があると思われる。
歴史的に大きな屈曲点となったのは、アメリカ経済を壊滅状態に追い込み、世界をも巻き込んだ『大恐慌』(1929年)であろう。この経済史上の大事件は、マーケットに対する素朴な信頼を根底から崩すことになった。マーケットをその自律的活動に任せると、時にある種の悪循環に陥る危険があり、放任することは出来ない、と言う『市場の失敗』に対する批判が起こり、その克服手段として、ケインズ等の近代経済学的アプローチによる修正資本主義が生まれ、政府の介入による『市場の失敗』の補正策が模索された。
一方、資本主義そのものを否定し、政府が全面的に経済を支配する社会主義、共産主義国家も成立し、新たな国家的経済実験が進められた。しかし、この社会主義的実験は計画経済の官僚主義的非効率と新たな社会的不公平の社会を生み出すことで、失敗に終わり、『ベルリンの壁の崩壊』(1989年)によって、歴史的終焉を迎えた。
その後の国際的経済社会は、勝ち残った修正主義的資本主義体制の中で、<市場の役割と失敗>、<政府の役割と失敗>の二つの対をなす概念の施策の対立とせめぎ合いの中で進められてきたものと思われる。
近年の我が国の経済政策の動きを見ても、『政府の失敗』を厳しく批判し、郵政改革を始めとする規制改革を進めた小泉政権とこれを支えたフリードマン、竹中理論は、政府の市場への介入を否定的に見るものであったが、この規制改革が、過度の市場原理の貫徹により、戦後の日本の安定的基盤であった健全な中間階層を破壊し、社会の極端な二極分化により、日本社会の安定性を崩そうとしているとし、日銀による強引なマイナス金利政策など、『市場の失敗』を強力な政策介入で補正しようとするアベノミクスへの揺り戻しなど、二つの概念的対立の間を行き来している。
一般論的に言えば、『政府の失敗』に対し、これを補完するものとして『非営利組織 (NPO)』の活用が考えられる。しかしながら、この対策も必ずしも、万全とは言えない。人件費が安い、効率的な運用が期待できる、機動的な対応がしやすい等のメリットがある反面、優秀な人材が集まらない、財政的基盤が弱く組織的安定性を欠く、等のデメリットもあるからである。
一方で、膨大な実証的研究により、21世紀経済社会の根本的問題を提起した Thomas Piketty(1971年-)の研究はそのような<市場>と<政府>と言う対立軸を超えた問題が進行しつつあることを示している。ごく一部の富裕者層への加速度的な富の集中が、国境の壁を軽々と越え、世界的規模で進行しつつあり、この現象に対して各国政府の国内的施策は打つべき手段を無くしつつあるのではないか、と言う懸念が感じられる。Piketty自身は、この問題に対して必ずしも悲観的ではなく、世界的枠組みの中での資産税を課す、等の提案も行なっているが、現在の国際情勢の中で、そのような国際的施策ができるというのは楽観論過ぎるとも思われる。
そのような世界的規模の変化の中で、『政府の失敗』に対して打つべき有効な手段があるのだろうか、と言う疑念を抱かざるを得ないが、多くの人々は、Pikettyが提起した<不都合な真実>を直視していないように思われる。
<参考資料>
• https://ja.wikipedia.org/wiki/トマ・ピケティ
• RIETI – 政府の失敗―市場の失敗への介入としての規制の法と経済(https://www.rieti.go.jp/events/bbl/05042701.html )
スウェーデンのPopsグループ『 ABBA』のヒット曲の中に<The winner takes it all>と言う曲があり(演奏はこちら)、昔そのタイトルにドキッとした記憶がある。
The winner takes it all/ The loser standing small/ Beside the victory/ That’s her destiny
<勝者は全てをさらって行く/その勝利の陰で/敗者はしょんぼり立ち尽くす/ それが彼女の運命さ(拙訳)>
勿論、恋愛の一局面を表現した歌詞に過ぎないが、これは、現代経済社会を風刺したものではないかと思ったものである。
同じABBAの『Money, Money,Money』と言う文字通りのタイトルの曲も現代社会の Loser の怨嗟の声を表して、さらに露骨に風刺的である。(演奏はこちら)
Ain’t it sad
And still there never seems to be a single penny left for me
That’s too bad
In my dreams I have a plan
If I got me a wealthy man
I wouldn’t have to work at all, I’d fool around and have a ball
Must be funny
In the rich man’s world
Money, money, money
Always sunny
In the rich man’s world
Aha aha
All the things I could do
If I had a little money
It’s a rich man’s world
It’s a rich man’s world
Ain’t it sad
And if he happens to be free I bet he wouldn’t fancy me
That’s too bad
So I must leave, I’ll have to go
To Las Vegas or Monaco
And win a fortune in a game, my life will never be the same