この春、思い切った一念発起で大学院に入学して、若者たちの群れの中に飛び込みました。決して気後れだけはすまいと決意して、講義や演習ゼミ、あるいは研究室での休憩時間、積極的にクラスメイトに話しかけ、様々な形での情報交流を心がけました。最初の頃はさすがに戸惑いの表情が浮かぶ事もありましたが、幸い、彼らはすぐに私の存在に馴染んでもらい、日々のキャンパスライフを共有できるようになり、定期考査を前に、試験対策会と称してランチ会を企画したり、BBQ会を楽しむまでに仲良くなりました。
年末には、私の有馬のリゾートルームで、2つの鍋を囲む鍋パーティを企画したところ、クラスの半数近くが参加してもらい、その直前にあった公認会計士試験や、英文会計試験の話題やこれから彼らが直面する卒後への就職活動などの話題に盛り上がりました。
さて、最早今さら、新しいモノを追うことはしない、と心に決めた自分は、この一年、何を求めて日々の生活の中で目指したのだろう、と考えました。そして、思い当たるのは、人との繋がりであり、多くの人との充実した豊かな人間関係を築くことを無意識のうちに求めて日々を過ごしたのではないか、と気づきました。
つまり、現在の私の関心の対象は、最早、夢や憧れの対象としてのモノではなく、日々、刺激し合い、共感し合える豊かな人間関係こそが、今自分が求めているものらしい、と気づきました。スローガン的に言えば、私は「モノ持ち」ではなく「ヒト持ち」になりたいと思っているようです。ただし、それは、パーティーからパーティーを飛び回って、とにかく多くの人と顔を合わすと言うようなことではありません。まず自分自身、本心から興味関心を持てる対象を定めて、その方向への真剣な取り組みをする。そして、その過程で情報交換し協力し合い、共感を共にできる人たちとの人間関係を大切にしていく、と言うことのような気がします。
キーワードは「共感」です。人間は、日々の暮らしの中で、感じ、気づき、時には驚き、喜び、時には悲しみ、あるいは感動するような様々な経験を繰り返していきます。そのような、自分の思い、感じたことを、信頼出来る人と分かち合える時、その心の経験は何重にも深く、味わい深いものになります。それこそが、今の自分が無意識のうちに求め、人生の充実につながっていくものではないか、と考えるようになりました。
それが、タイトルに記した「モノ持ちではなく、ヒト持ちになりたい」と言う言葉の意味です。「ヒト持ち」になると言う事は、単に頭数で多くの人と知り合いになる、と言う意味ではありません。また、パーティーでのように、ただ顔を合わせて言葉を交わすというようなものではありません。夫婦や恋人の関係でよく言われるように、両者が向き合うというよりは、お互いが共通の目標を見て並走している関係の中でこそ、深い共感が生まれる機会が出来るのだと思います。この春、私は大学院に飛び込み、若い世代の学生たちと机を並べ私にとって新しい世界である会計や経営の勉強を始めました。私はもたついたり、時には音を上げそうになりつつも、この分野では一歩先を行くクラスメイトたちに助けてもらい、議論したりしながら彼らと共に歩むことが出来たと思います。そのように、同じ目標に向かって並走する中で、「共感」も生まれて来ると思います。
この人間関係の中での「共感」と言うものについて、私がしみじみ深く感じた原初的な記憶は、私の小学生時代の経験に遡ります。
私は幼児から、母親との二人家族の、いわゆる「母子家庭」で育ちました。しかし、私にとって、母と一緒に暮らしている限り、特段の不満もなく、小学校の仲間たちと、よく遊び、よく学び、楽しい日々でした。
ところが、小学5年になって、その一年限りでしたが、母の仕事の都合で親戚の家に預けられることになり、母とは、月一回程度しか会えない生活になりました。でも、学校生活は楽しく、たくさんの仲間たちと遊び回り、その後は市立の児童図書館で、手当たり次第に、本を読みあさる日々でした。担任の先生も優しい方で、私の境遇を知った上で、毎日のように、数名の友達とともに、教室で居残りの学習指導をしていただきました。(現在の学校状況では、とても考えられない事です。今なら、教育の不公平として、騒動になるでしょう)。私立中学の受験など到底不可能の状況だったのに、その先生の勧めで、模擬試験を受け、いきなり一桁台の順位を取って、先生に大変喜ばれた事もありました。
しかし、そんな様々な経験を母の居ない家に持ち帰っても、ちょうど深い井戸の中に投げ込んだ小石の音が何もしないかのように、その経験を親身に共有し、心から共感してくれる存在は無く、それが母の存在である事に気づかせられた、記憶に残る経験でした。