モノ持ちではなく ヒト持ちになりたい (1)

 先日、ある若い世代の方と仕事上の話をしていて、私のブログの「シニア世代の都心回帰」の中で私が書いた内容が、話題になりました。その方は仕事上で初めてお会いしたのですが、事前に私のブログに目を通していただいていたようです。それは、この春私がこのブログに本格的に取り組み始めてから時々経験することですが、初めてお顔を合わせる方に事前に私のこのブログのお話をしておくと、親切なあるいは熱心な方は、私のこのつたないブログをよく読んで頂いた上で、お会いすることになり、一言で言えば「話が早い」という状況になることがしばしばあります。つまり、直接顔合わせをする前に(大げさに言えば)私の人生の履歴、考え方、ひょっとすると人生観までご理解頂いた上で話が始まるような状況が生まれる気がする時があります。その意味では、このブログはチョー長文の「名刺」の役割をしてくれているのかもしれないと思う時があります。私としては、前置きとして長々と自分の考え方やそのバックグランドをお話する手間が省け、相手の方も手探りで私の考え方の中身を探る以前に、ある程度私の人間性や(ひょっとするとあれこれの癖とかも?)飲み込んだ上で、お話が始められる分、気持ちが楽なのではないか、と思うところもあります。

さて、その若い世代の方とのお話で話題に上がった「シニア世代の都心回帰」の内容ですが、その投稿で私がテーマとしたのは、子育て時代、仕事中心の壮年期を過ぎる時、理想とする住生活のあり方が根本的に激変する可能性がある、ということでした。それは、ものの見事にどんでん返しの様相すら呈するほど極端な現れ方をすることがある、ということをメインテーマとして書いたつもりでした。

しかし、その若い方とのお話で話題になったのは、その人生のステージによる住まいのあり方を考える上での前段であった、私の血気盛んな時代、理想のマイホームを求めて情熱を燃やした時代のお話でした。

考えてみれば、私が夢のマイホーム建築を求めて、あらん限りのエネルギーを注ぎ込んだ時代は、日本の高度経済長の後半、バブルに向かって社会全体がメラメラと燃え上がるような情熱に包まれていた時代でした。今日より明日、明日より明後日(あさって)、自分も社会も豊かになっていくんだという確信的熱情で日々を生きていた時代だったように思います。

昨今、余暇に都心の商業施設などをぶらついていて、そこここに溢れる物の豊かさ、施設や環境の行き届いた美しさ、至れり尽くせりのきめ細かいサービスに触れる時、現代の日本はなんて豊かなんだろう、と感心するような思いになります。今や、少子化によって、その豊かさを享受し、持続させていくはずの「人」が足りない!という状況に日本は直面している、というのも一つの歴史の皮肉のような気もしますが。

でも、この豊かさは一朝一夕に出来たものではありません。バブル崩壊後、社会全体が取り乱し、方向性を見失ったかのように右往左往し、「失われた10年」などという不名誉な時代名称をもらいながらも、でも、このバブル以降の時代、やはり日本は足踏みをしているかに見えながらも、それなりに着実に豊かさを増してきたのだと思います。

私が、夢のマイホームへの情熱をたぎらせていたバブル直前の1980年代、エネルギーと活気に溢れてはいましたが、日本の社会全体、まだまだ不足するモノ、生活の中で是非とも欲しい憧れの商品や夢が一杯ありました。

だから、あの時代、そのような憧れの商品を追い求め、そのような「欲しくてたまらない」モノに囲まれて夢の暮らしをすること、そして、そのための夢舞台として、その時代の欲望の集約として、夢のマイホームがあったのです。私が憧れの夢のマイホームの建設に向かって情熱を燃やしていた時代、私だけではなく、日本の社会全体が、まだまだ満たされないモノを追い求めて、モーレツに突き進んでいた時代だったと思います。

人間のものの考え方にも、物理的な運動と同じように、慣性とも言うべき動きがあるのは事実でしょう。ある時勢いがついて身に染み付いた思考や発想は、直ぐには抜けません。いや、かなり深いレベルから振り返り、意識の底から洗い直さないと、思考の慣性からは中々抜け出せないという事はしばしばあります。その意味で、我々の世代は人生の前半期で染み付いたモノへの欲求、無意識のうちに飛びつくモノへの執着から、かなり意識して離れるように心がけなければ、自分の求めるものとは違う方向に迷走してヘンな落とし穴に落ちたりしそうです。

ただ私は、郊外のかつての夢のマイホームが買い物砂漠と化した絶望的状況から、活き活きと暮らせる都心への回帰を果す過程で大「断捨離」を決行して来た身です。最早、安易にモノを追い求める事を生き甲斐であるかの如く考える熱病からはすっかり冷め切っているはずです。それでも、何かの機会に魅力溢れる豊かなモノをつい買い込もうとして、断捨離の心得を思い出して思わず引き返す事がよくあります。

しかし、人間は常に何かを求め、何らかのやり甲斐、生き甲斐を求めて生きる動物です。では、今、私は何を求めて生きており、何を生き甲斐とするべきなのか。いや、今現在、私は何を求めて日々を過ごしているのか、改めてそう自問して、気づく事がありました。

投稿者:

matsuga_senior

《松賀正考》大阪大学外国語学部英語学科、歯学部卒業。明石市で松賀歯科開業。現シニア院長。 兵庫県立大学大学院会計研究科を卒業し会計専門修士。さらに同大大学院経済学研究科修士課程を卒業。その修士論文で国際公共経済学会の優秀論文賞を受賞。現在、博士課程在学中。