子育て時代や子弟の教育期を終え子供たちが巣立った後、現役の第一線を退いたシニア世代が、郊外の一戸建てを離れ、利便施設が集中する都心のマンションに移り住むケースが増加していることが、マスコミ等でも話題になるこの頃です。
昨年の私の転居もまさにこの都心回帰の典型例に当たるでしょう。その経緯を振り返ってみたいと思います。
私の神戸生活は明石での歯科医院開業の1982年から35年以上に及びますが、そのほとんどが垂水区郊外の戸建て住宅での暮らしでした。母子家庭の貧しい暮らしの中で育った私にとって、環境の整った都市郊外の住宅地に自分の夢を詰め込んだ戸建て住宅を建てることはまさに人生の目標と言っても過言ではない夢でした。これは高度経済成長の活気の中で育ち、バブルに向かう熱気を肌で感じながら社会に出た団塊の世代の誰もが共感して頂けることでしょう。
1988年、ちょうど元号が平成に変わろうとする前年、子供が出来たのを契機に、私はいよいよ夢の実現に取り組み始めました。
まず土地の購入です。今、振り返ると、狂乱の不動産バブルの直前、嵐の前の静けさのような時期でした。当時、この住宅地の平均的広さの敷地50坪程の建て売り住宅に住んでいました。夢であったオーダーメイドの住居を実現するにはもう少し広い土地が欲しかったのですが、ちょうど良い広さはなく、結局横並びの2区画分、計115坪の土地を購入することになりました。絶対的土地神話が誰の頭にもしっかり根付いていた時代で、無理をしても保有していれば一番安全な資産として銀行も進んで融資協力をしてくれました。
そこで、広い間口の長方形の敷地の一区画分に我が人生の理想を詰め込んだオーダーメイドの住宅を建て、南側のもう一つの区画は丸ごと駐車スペースと芝生の庭にすることにしました。将来、何か資金的に困った時、一部を処分換金できると言うような発想でした(今にして思えば全く現実的な話ではありませんでしたが)。
後に考えれば、設計士に計画を相談依頼するという選択肢もあったのですが、当時はその発想は無く、それから半年位は週末ごとにハウスメーカー各社のモデルハウスを家族全員引き連れて巡回する日々が続きました。しかし、それは人生の究極的目標を目指しているかのような幸福な日々だったと思います。中々思うようなプランに行き当たらず、ついには会計処理などを通して馴染んできたPCで建築専門家が使うフリーの設計ソフト(JW _CAD)を数ヶ月かけてマスターし、自分で図面を引き始めたりしました。そんな苦労も全てが人生の夢に向かう楽しいプロセスと感じていました。
こうやって、ほぼ1年がかりの夢の図面が完成し、総床面積 214㎡(65坪)6LDKの夢のプランが出来上がりました。
その後も、実際の建築を依頼する会社の選定も曲折があり、夢のマイホームが完成したのは、平成元年の夏でした。ちょうどその頃、熱狂的な不動産バブルの波がついに関西にも到達し、旧住宅が買値の倍以上の価格で売却できるというような幸運もあり、我が人生の夢が実現した想いでした。
子供達それぞれに子供部屋を配し、12畳という贅沢な広さで憧れの書斎も確保しました。広々とした芝生の庭で遊ぶ子供達の姿を見て、<我が人生の夢、実現せり>と深い満足感に浸ったものでした。
新居は、小学校から数分、中学校も10分程度の距離にあり、住宅地中心部には、コープを始め、必要な商業施設が計画的に配置されており、生活に何の支障も感じませんでした。強いて言えば、住宅地がJR垂水駅からバス便のロケーションにあり、その頃から私立学校に通い始めた子供達の通学時間が非常に長く早朝からの登校準備が大変になり始めたくらいでしょうか。超が付くほどの車人間だった私には何の痛痒も感じませんでしたが、家族の行動半径が広がるにつれ、徐々にこの住宅地の不便さが現れ始めたようでした。
その後、家族の歴史は変遷し、残念ながら自宅の新築から20年近く経過した2008年、妻は7年の闘病生活の後、早逝しました。発病する直前の妻の生活を振り返ると、深夜に及ぶ私の自宅での事務処理に付き合う一方で、早朝5時位から始まる子供達の登校準備という生活サイクルで、極端に睡眠時間の短い生活を強いられていました。後から考えてみれば、妻の発病の遠因の一つに、この住宅地のロケーションが絡んでいたのかもしれないと考えたりしました。妻の早逝に前後して子供達の生活圏は拡大し、大学生活、就職という段階に入って徐々に巣立つことになりました。そして自宅建設から23年後の2012年、ついに広い6LDKの夢のマイホームは、私の一人暮らしの舞台になってしまったのです。
このライフステージの転換は強烈なものでした。広い戸建て住居は、一人住まいには余りにも無駄に広く、冷暖房効率が極端に悪く、清掃等の手間ばかりが負担になるスペースに成り果てました。殊に酷かったのが、宅地一区画分丸々の庭のスペースでした。芝生の維持管理も追いつかず、人手と費用を掛けなければ一夏で庭はジャングル状態になりかねませんでした。しかも、その広い庭で遊ぶ子供の姿は、もうありません。一人暮らしでは、広いだけの古びたキッチンで自炊する気も起きません。しかし、外食しようにも、住宅地の中には数軒の飲食店しかなく、その多くが、夕方5時を過ぎると店じまいしてしまいます。結局、住宅地内で賄える夕食は、コープの寿司パックかお弁当屋さんの限られたメニューしかありません。夏は蒸し風呂のような暑さ、冬は隙間風の通るだだっ広い木造住宅の中での暮らし、いやでも1日3回直面する食事の極めて限定されたメニュー・・夢のマイホーム生活はこんなはずでは無かったのに、どこでどう狂ったのでしょう。ついに私は音を上げざるを得ませんでした。
ちょうどその頃、神戸の都心で勤めていた娘が賃貸マンションを出て、落ち着いた住まいを考えたいと言い始めました。自宅からバス便での通勤は現実的に無理で、勤務先の近くで賃貸暮らしをしていたのです。そんなことがキッカケで、都心の三宮周辺での物件探しを始めました。その時、たまたま目についたのが、現在の私の住まいとなったマンションでした。誰の案内もなく、いきなり現地を訪れた私は、一味違う外観に惹きつけられ、マンションのコンシェルジュさんに声を掛け内部を案内してもらいました。2月下旬の未だ寒さの厳しい頃でしたが、エントランスを入るや空調の効いた応接スペースに入るマンションの暖かさが印象的でした。
一週間をおかず、詳細な現地案内で聞けば、何と展望フロアに年中無休のレストラン、露天風呂付きの温泉まであり、さらに、一階には提携の内科クリニック、2階のエントランス=フロアには、出張の理・美容室、外来関係者用の和・洋の宿泊ルーム、防音の音楽室からゲーム室まで、その設備の充実ぶりは驚くようなものでした。
郊外住宅地での暮らしに絶望的に行き詰まっていた私は、ほどんど即決でこのマンションを購入することにしました。三宮駅から徒歩10分というロケーションも文句ありませんでした。驚いたのは、その価格で、バブル崩壊後、下落を続けた郊外住宅地の旧住宅の売却資金で十分賄えました。
この十分に充実した設備を備えたマンションがこの格安な水準なのは、充実した共用施設が主としてシニア層をターゲットとしており、その分、やや管理費がかかることもあってか、購買層として住宅需要の中心である子育て世代のファミリー層が入ってこないという事情があるようです(私が見る限り、若い世代が住んでも何の支障も無さそうですが)。
購入を決めてから半年近い準備期間を経て、郊外住宅地の一戸建てから都心のマンション暮らしへの転換が始まりました。(この時の転居騒動についてはこちら『断捨離は人生の先始末?』)
移住までの前段の話が長くなりました。新しく始まった都心のマンションでの暮らしは稿を改めたいと思います。
なお、その後、我が夢の跡は、完全にキレイさっぱり取り壊され、更地の状態に戻りました。現在、その更地の上には、3戸の住宅が建設され、3家族の新しい生活の舞台に生まれ変わったようです。人の住まいはこうやって新陳代謝していくんだなぁという感慨があります。
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<おまけ>(2018年9月12日 空気が一気に秋めいてきた朝に)
このブログを読んでいただいた読者の方から、
>私も今主人と二人で都心に住み始めましたが、シニア院長様と同感の
>思いで暮らしております。
というメールを最近頂きました(こちら)。
今朝も早朝に目覚め、歩いて2分(!)の24時間営業のコンビニに出かけ、朝食と朝刊を買ってきました。あらためて、『この便利さは何だ!』と感慨を覚えました。
以前に住んでいた郊外の住宅地での暮らしを思い出すと、それがまるで、買い物砂漠だったようにさえ思います。それにしても、シニア層の都心回帰はきっと増え続けるだろうと思います。
<おまけのおまけ>
前の郊外住宅住まいの時代は定期購読していた新聞については、迷うところです。
Web経由での情報が溢れている現在、新聞には、以前のような絶対的価値は感じられません。特に、いわゆる全国紙の過去の報道で、酷い情報の歪曲や無責任な報道体制があった事の経緯を知って以来、なおさらです。いわゆる三面記事で、どこかで強盗事件があったとか、オレオレ詐欺が増えているとかの情報に特に価値がある気もしません。特に、新聞というアトム(紙という物質)で出来た情報媒体は、あっという間に積み上がり、結構な場所ふさぎになります。(ゴミ捨ての包装材料に出来るとかの意外な用途はありますが)。
思想的偏向も無く、国内外の経済を中心とした報道がしっかりしている日経を、時折コンビニ買いする位か、1週間分がキチンと保存されている大学の図書館で読む位でちょうどいいかな、というのが、現時点での結論です。