小動物の群れが 巨大怪獣 を倒した日(5)

1995年、阪神大震災が神戸を襲いました。早朝、自宅2階で就寝中、突然巨大なモンスターが家全体を揺すっているような感覚で目覚めましたが、幸い、家族全員に異常はなく、震源からの近さの割に、我が家も診療所も被害は軽微でした。

  

この歴史的な災害の影響は、もちろん公私のあらゆる面で甚大な影響を与えましたが、ここまで書いてきたコンピュータとネットワークの世界に及ぼした影響の一つは、災害に強い情報インフラとしてインターネットが改めて大きな注目を浴びたことでした。私自身もそれまで取り組んでいた情報システムの構築に関し、感ずることも多く、翌1996年3月地元の明石市歯科医師会の(DTP化に取り組んだ)会報誌に当時感じた思いを書き残しています。(当時書いた会報誌への投稿はこちら)。

実は私が FirstClass による情報システム構築に走り回っていたこの時期、既にコンピュータの世界の巨大な変化は着実に進んでいました。パソコンという小動物の群れはインターネットを通しての連携という新しいパワーを得て、その 能力を飛躍的に高め、メインフレーム=コンピュータという恐竜に対する包囲網がジリジリと進んでいたのです。当時のコンピュータ業界を風靡していたテーマは『ダウンサイジング』でした。それは、メインフレームで行ってきた業務をネットワークで連携するパソコンの集合体によって置き換える、という流れで、目ざとい民間企業分野では、その高いコストパフォーマンスから急速に進行していきました。しかし、未だ多くの人は半信半疑でした。あの巨大なT-Rex に、ちっぽけな小動物がいくら束になってかかっても敵うわけがない、というのが、多くの人の常識的感覚でした。しかし、やがて強盛を誇ったT-Rexたちが、小動物の蝟集する群れに囲まれ、たじろぎ、怯える日が訪れるのです。

この頃、私は前稿で書いたように、県の歯科医師会で情報調査分野を担当していました。そこに、震災後の復旧対策の一環として、かなりの額の情報システム構築予算が下りるという話が出て来ました。我々は、理想的な情報システム構築のチャンスがやって来たと、大きな期待を寄せました。ところが、我々の予想に反して、そのウン千万円の予算は、メインフレーム=メーカー(我が因縁のIBM社)のラインナップ最下端の機種に使われる流れになりました。しかも、その目的用途は、ホームページの発信だという話を聞いて驚きました。ちょうどその頃、私は、飼っていたMac という小動物を使って、医院のホームページの作成と発信を始めていたからです。その程度の芸をさせるのに、大きな予算を使い、小型とは言えラプトルのような恐竜を買うべきではない、今後のエサ代(メンテナンス費用 等)もバカにならない、と長文の上申書を書いて反対しました。それはまるで小さなアリを倒すのに巨大なマサカリを振りかざすようなものだと思われました。しかし、やはり会員総数 数千名を超える大組織の執行部としては、大企業 IBM のブランドを選ばれたのでしょう、流れは変えられませんでした。コンピュータ維新の志士を気取った我々は、未だ明けぬ夜明けを前に、悔し涙を流したのでした。

    

ところが、この直後に行われた執行部選挙で、大方の予想を覆して執行部が交代することになり、新執行部が誕生することになりました。そして、新たに発足した執行部の理事会メンバーに、情報調査室担当理事として私を指名して頂きました。会長室に呼ばれた私は「この分野は、先生に一任します。思い通りにやって下さい。」との言葉を頂いたのです。まあ、草莽の志士が新政府に取立てられたようなもんですね。

その頃を分岐点のようにしてダウンサイジングと呼ばれた恐竜退治が加速しました。メインフレームという T-Rex やラプトルは、サイズでは比較にすらならない PC という小動物の群れに追い詰められ、舞台の主役の座を譲ることになりました。
(あ〜、やっとタイトルにたどり着きました。)

その後、私の構想通りFirstClass は公式システムとなり、各種委員会でも活用が進みました。前稿でも書きましたように、現在、総数 3100名の会員のうち、1400名以上の多くの会員がこのシステムを利用するようになりました。ある市区歯科医師会では、会員全員が登録され、Fax 連絡網に代わる連絡システムとしておられる地域もあるとの事です。殊に意外だったのは、これが事務局の基幹的情報システムとして、事務業務に不可欠な存在になっていると聞いたことです。導入当初、『センセ、目の前に居る同僚になんでわざわざメッセージを書かないといけないんですか?』と不満を漏らしていた事務局幹部からも徐々に文句を聞かなくなっていきました。情報をデジタル化し、共有し、記録に残す、という事務的作業の根幹が効率的に行える、という事への理解が進んでいったのだと思います。

この年、私は、日本歯科医師会という全国組織の情報システム委員会にも出務することになりました。後に兵庫県歯の会長も務められることになる有能な先輩の指揮下で、全国的な歯科医師会の情報システムを構築するための委員会でした。ここでも私は、FirstClass で全国的な情報システムを構築しようという取り組みを進め、一度は専用サーバーの設置まで進んだのですが、やはりさすがに全国規模組織の中には隠然たる抵抗勢力があり、私の任期とともに、その試みは頓挫しました。
しかし、この過程で、全国の多くの草莽の士と知り合い、情報化、ネットワーク化への志を同じくする者同士の交流を楽しませていただきました。殊に、地元で同様のFirstClass サーバーを運用しておられた青森県の工藤、鈴木、柏崎先生、静岡の望月先生、徳島の竹田先生(先生は実は徳島大学勤務時代以来の悪友です)、新潟、横浜の熱心な諸先生方、元気にご活躍でしょうか。また、この投稿が目に触れる機会でもあれば、是非ご連絡下さい。その後の四方山話をさせていただきたいものです。

その後、私はさらに別の情熱を燃やす対象に出会い、あるいはまた、ニューヨークで9.11のテロ事件と危機一髪の遭遇 (当時の記録はこちら) したり、妻の7年におよぶ闘病生活に伴う悲しい時期も経験して、今に至ります。

           


(9.11の日、WTCに向かう地下鉄が止まり、地上に出るとWTCの炎上が)

その後、兵庫県歯の情報システム運用は大学後輩でもある Jazz Bandman & ITの天災、じゃなくて天才、の神田貢先生が後を引き取っていただき、さらに新たな展開を進めておられ、頼もしい限りです。

あの頃の数年間の日々を今振り返って、人生全体の中で、どう評価するべきなのか、戸惑います。もちろん言うまでもなく経済的には何の大した見返りがあったわけでもありません。むしろ、大いなる減収でした。本業の役に立ったか、と問われれば、???としか答えようがありません。では、バカなことに情熱を燃やしたのか、と言われれば、それは人生を評価する基準によるでしょう、と言わざるをえません。『人はパンのみにて生くるにあらず』、要領よくお金儲けするだけが、賢い生き方だとは思えません。例えそれが Byway でも、自分なりに、その時期、自分の課題を精一杯生きた、とは言えるでしょうか。
I did it MY WAY (自分なりに生きた)♪ と言えばカッコをつけ過ぎかな。
Regrets, I’ve had a few(悔いは少しはある)♪ですが・・・。

投稿者:

matsuga_senior

《松賀正考》大阪大学外国語学部英語学科、歯学部卒業。明石市で松賀歯科開業。現シニア院長。 兵庫県立大学大学院会計研究科を卒業し会計専門修士。さらに同大大学院経済学研究科修士課程を卒業。その修士論文で国際公共経済学会の優秀論文賞を受賞。現在、博士課程在学中。