小動物の群れが 巨大怪獣を倒した日(2)

今から約35年前、右も左も分からぬままに開業した初年度、会計処理も、訳も分からず会計事務所に丸投げしました。しかし、データ資料の提出は急かされる一方、一番知りたい納税予定額は「最終的な結果が出るまでは予断を与えてしまうとマズイので」と言う理由で、申告期限ギリギリまで教えてもらえません。しかも、この時、申告書に極めて重大な記載ミスがあり、税務署から厳しい指摘を受けると言う問題が発生しました。
その時、私が思ったのは、いかに専門家に任せたとはいえ、最終的に自分がハンコを押す以上、その責任は自分に来る、ならば、いっそのこと、自分で出来るところまでやってみよう、ということでした。

早速、簿記や会計の入門書を数冊買い込み、複式簿記の基本を学び始めました。この複式簿記の全体像がおぼろげに見えて来た時、損益の取引を資産負債の増減で裏付けることで記録に検証性を持たせ、しかも、損益計算の決算書を作成すると同時に資産負債状況を示す貸借対照表を作ると言う巧妙なシステムに驚きました。また、事業的収支と個人的収支を切り分けるための事業主勘定、長期的投資資産を年度ごとに経費計上する減価償却、給与支払いの支出の際の預り金の処理等、工夫をこらされた精緻なシステムの作りに感心しました。(そんな第一印象が、現在の会計学専門大学院につながったのかもしれません。)

しかし、前年度、会計事務所が作成した資料を横に置いて、見様見真似で(総勘定)元帳を手書きで記帳を始めてみると、その事務的手間の大変さにすぐに音を上げることになりました。毎日の記帳もさることながら、数日毎に帳簿の検算をしてみると、数字が合わないことが度々あり、その原因となるミスの発見、さらにそのミスまで遡っての帳簿の修正が大変な作業でした。長男が生まれたばかりで大騒ぎの状況の中で、記帳作業のため、深夜遅くまで机に向かうハメに陥りました。

個人的実務に使える国産初のパーソナルコンピューターと実務処理用のソフトが出現したのは、まさにこの時でした。100万円を超す投資は、開業間もない時期としては重いものでしたが、私は会計事務所に支払う記帳代行費用を考えれば、2、3年で元が取れると踏みました。何より、人任せのブラックボックス状態が私には我慢がならなかったのです。そして、ほんの少し前まで、個人の手には及ばない世界だった憧れのコンピュータ=パワーをこの手に出来るというワクワク感が何より魅力でした。

こんな訳で、まだ賃貸住まいだったマンションの2LDKの一室に、国産初のパーソナルコンピューター PC-9800 と騒々しい印字音を撒き散らすライン=ドット=プリンター、さらに、ウチワのような 8インチ=フロッピーディスクに入った会計ソフトが納品されたのです。考えてみれば、会計は、基本的に単純な計算を繰り返し、分類、集計する作業ですから、これほどコンピュータ向きの業務は無いと言ってもいいでしょうね。今から考えれば、信じられないほどの貧弱だった当時のコンピュータ=パワーでも、その能力は圧倒的で、日々の事務処理は省力化され、会計ソフトに導かれるように入力して行くだけで、リアルタイムで、処理結果がサクサクと出てきます。

そんなコンピュータパワーを巷の一開業医が自宅で自由に使えると言う状況は、大学助手時代、メインフレームのタイム=シェアリングシステムを経験している私には、感激以外の何者でもありませんでした。

この時、メインフレームの恐竜が跋扈する世界の片隅に、小さな動物が誕生した訳ですが、そんな小動物に注目する人はおらず、専門家からは、全くのオモチャ扱いでした。しかし、やがて、この小動物は、ネットワークと言う強力な連携手段を持つことで群れをなして動き始め、ついには、メインフレームという T-Rex たちをも追い詰める日が来るのです。キーワードは、<ネットワーキング>でしたが、産まれたばかりの小動物に、その能力は未だほとんど育っていませんでした。

  

もう一つ、当時の産まればかりのパーソナル=コンピューターに無く、現在のパソコンには当たり前になっている決定的技術は、パソコンとユーザーの接点であるモニター画面の表示です。難しく言うと、グラフィック=ユーザーズ=インターフェース(GUI)と言う専門用語で呼ばれる部分ですが、生まれた時には既にパソコンが当然のように、そこにあった世代の人には想像するのも難しい程、誕生当初のパソコンの画面表示は貧弱で殺風景なものでした。グリーン=ディスプレイと呼ばれたモニターは基本的に、グリーンの単色で、英文字で表示された数十行が並び、入力位置を示すカーソル位置がパコパコ点滅しているだけのものでした。これでも、会計業務などの単一業務には何とか用は果たせたのですが、あくまで、特定の業務処理専用マシンと言う感覚でした。

初期のPCのディスプレイ画面
初代 Macintosh を披露する Steve Jobs

現代のパソコンでは当たり前の、きれいな背景の上に、アイコンという図形が並び、これをマウスでクリックするなどという操作ができる市販パソコンはちょうどこの頃(1984年)アメリカで、スティーブ・ジョブズ率いるアップル=コンピュータ社が満を持して発売した初代 Macintosh で初めて実現したものでした。当時、アメリカで素晴らしくユニークで革新的なパソコンが発売されたらしいという噂は流れていましたが、同時に、非常に高価で、アメリカでも、『医者と弁護士しか買えないパソコン』というありがたくないニックネームを付けられているらしいという話も流れていて、開業歯科医とはいえ駆け出しの自分には縁の無い世界と思っていた記憶があります。

しかし、この殺風景な外見ながらも、個人がコンピュータ=パワーを手にしたという事実は多くの夢を与えるもので、この頃から、様々な面での活用を試みる動きは加速しました。そして、一般社会の10年分の変化が1年で起きるという、いわゆるドッグ=イヤーのペースで、この分野の技術進化は猛スピードで続き、昨日出来ないと思われたことが、今日実現していくような状況は、その世界に触れた多くの人に様々な可能性や夢を与えるものでした。次々に専門雑誌が発刊され、PC好きは趣味の一ジャンルとして定着し始め、秋葉原や日本橋の電気街は従来の家電やオーディオ趣味から、パソコンオタクが集まる街へと変身していきました。私もすっかりその仲間入りをし、日曜ごとに、家族全員を車に乗せて、家族を何時間も車で待たせては、店舗巡りをする日本橋詣での日々が始まりました。

ただ、この時期のパソコンの決定的特徴は、あくまで、コンピュータが家庭に入り込んできたというだけで、孤立したマシンとしての活用が模索されただけだったということです。いわゆるスタンド=アローンの単体マシンとしての使われ方しかされていなかったのです。小動物は短期間に、驚くべきペースで急激な進化を続け、パワーアップしていきましたが、ネットワークと言う強力な連携によって群れをなして、その潜在的パワーを爆発させるステージが開始されるのは、もう少し後でした。

(また、長くなってきたので、稿を改めます。)

 

投稿者:

matsuga_senior

《松賀正考》大阪大学外国語学部英語学科、歯学部卒業。明石市で松賀歯科開業。現シニア院長。 兵庫県立大学大学院会計研究科を卒業し会計専門修士。さらに同大大学院経済学研究科修士課程を卒業。その修士論文で国際公共経済学会の優秀論文賞を受賞。現在、博士課程在学中。