私が入学した兵庫県立大学大学院では、一年間を夏休みを挟んだ前期と後期の二つに分ける二学期制です。前期の講義期間は4月から7月の4ヵ月で、5月末で、ちょうど前期の前半が終わったことになります。軌道に乗ってきた感のある現在の状況を報告します。
私が選択した講義の1週間の受講スケジュールは、以下のようなものです。
月曜 1限 簿記論 2限 公会計特論
火曜 <お休み>
水曜 1 公会計概論 2 原価計算
木曜 1 企業法制概論
金曜 2 財務会計 4 基礎演習ゼミ
土曜 1 会計制度 2 会計職業倫理
というもので、1学期の取得単位の限度である9講義18単位を目一杯取っている形です。その割に大学学部に比べて受講密度が比較的少なく見えるのは、大学院が研究者もしくは専門職養成のための教育機関として、知識を教え込むと言う段階ではなく、自ら参考文献や資料を調べ自らの考えをまとめるという段階であるという前提で講義スケジュールが準備されている事情によるものでしょう。それでも、ほとんどのクラスメイトのような経営や会計系の学部出身者に比べ、基礎的知識が不足がちの自分としては、これを補う必要があり、新しい分野の構造や感覚を頭に落とし込む時間も必要ですから、ちょうどいい感じです。
私の場合、個人事業主としての自らの医院会計を、開業以来30年以上、PCと会計ソフトを使って自力で決算まで行い(*後記)、申告のみを税理士さんに委ねる形で行って来ましたので、いわゆる簿記検定3級レベルの知識は身についていたと思います。ただ、この会計専門職大学院としては、基本的前提として簿記2級レベルの知識が必要と言うことですので、入学が決まってからすぐに、たまたま自宅マンションから徒歩圏内にある専門学校に通い、いわゆるダブルスクール生活をしました。
こんな2ヵ月間で、それなりに、会計学や経営学、監査論などの世界の全体像やその考え方が徐々に染み込んできたように思います。ところで皆さん、『金商法』ってどんなものかご存知ですか?金を売買して利ざやを稼ぐ商法かな、と思った方はブッブーです。これは何と『金融商品取引法』という上場企業を対象にした、企業会計分野では最も重要な基本的法律の一つです。講義で初めて聞いた時は、何だかクスッとしましたが、段々その重要性が分かってきました。
講義レベルとしては、何しろ上記の9科目の受講講義中、5科目が現役の会計士や弁護士、税理士等の先生ですので、講義内容の範囲も広く深く、かつペースも早いので、ついてくのが大変です。遠い昔とはいえ、かつて文系の学部で勉強してきた経験もあることを根拠に何となく密かな自信めいたものを持っていたのですが、これは、もう一度ハチマキを締め直さなければ、というところです。学生さん方のレベルも、さすが学部過程を終えてさらに院に入って来られた方々ですから、学習意欲も高く、ハイレベルです。先日も、ある科目で出された課題レポートを私なりに用紙一杯にまとめて提出して安心していたところ、何と4ページのボリュームで提出された方がいた、という話を聞いて驚きを禁じえませんでした。
幸い、時間だけは十分ありますので、皆さんから取り残されないように、努力したいと思います。
苦しい話ばかりではありません。大学は学生生活の中でも、最も長い長期休暇があります。夏休みは8月、9月のほぼ2カ月間ですが、折角入学した大学院生らしく有意義に送りたい、と色々計画中です。まずは、9月初旬にある前期末のテスト期間を全力で頑張った後、涼しいカナダでホームステイをしながら、2週間の語学研修をする計画を検討中です。私が、大阪外大で英語を学んだのは、1967-1972年ですから、何と50年の時を超えて英語の世界と再会することになります。ほんの数年前のようにも思えるのに、半世紀も前のことになることに感慨を覚えます。無事、接木できるかどうか、頑張りたいと思います。
なお、このプチ留学をお世話をいただいている担当者の方に、例のMy Way の和訳歌詞のこと(『大学の検診で一大事!』の稿の<おまけ>を参照下さい)を聞いてみました。英語のプロとしての判定は、
>マイ・ウェイの日本語歌詞ですが、おっしゃる通り、かなり意訳(意訳という表現も
>違うかもしれませんが・・・)されていると思います。
>松賀様の意訳が英語で表現されているものに近いと感じました。
ということでした。我が意を得た思いです。
ところで、このブログのタイトルとして使用している『シニア院長』という呼称は、世間で親子二世代の病医院でよく使われる<若先生、大先生>という呼称が何だか時代がかってイヤだったので、私が勝手に造語して使ってみたものですが、先日、インターネットで<シニア院長>の単語だけで検索してみたところ、何と、このブログページがトップに表示されて、驚きました。何でもオリジナルというのはそれなりの意味があるんだな、と思いました。
(おまけ *後記)
考えてみれば、この医院会計の Do It Yourself が、私が会計分野に興味を持ち始めたきっかけかもしれません。
開業1年目だけは会計事務所に一任、丸投げしたものの、自分の経営活動の実態が、専門家とはいえ他人を介してでないと分からない、さらにその内容分析が言わばブラックボックスで、なぜという理由が分からない、リアルタイムでの分析結果が得られず、申告直前になって決算結果と申告納税額の最終的結果だけが通知される、という他者依存の状態に我慢がならず、2年目からは簿記・会計の入門書を紐解き、当時、世に出たばかりの我が国初のパーソナル=コンピュータ PC-9800 (NEC) <ご存知の方には懐かしい名称でしょ?>と開発されたばかりの会計ソフト<ミルキーウェイの『大番頭』という製品でした>を総額150万円程度をはたいて購入し、自力決算を始めたのでした。開業したばかりの医院会計にとっては、大きな投資でしたが、迷いはありませんでした。
今でも、懐かしい風景のように思い出せますが、当時の記録メディアは、8インチのフロッッピー=ディスクと称されるもので、ちょうど夏のウチワ位の大きさがあって、そんな図体で容量は256KBか512KB程度で、1MBもありませんでした。プリンターも現在のようなコンパクトでかつ圧倒的な印刷品位など望むべくもなく、巨大なサイズと大きな騒音を撒き散らすライン=ドット=プリンターというタイプでした。
漢字変換機能も現在のような、至れり尽くせりのAI的処理など、夢のまた夢、読みを入力した後、変換キーを押すと選択候補が出てきて、その中から適当なものを選ぶ、という原始的な方法でした。しかも、その選択候補選びには学習機能が無く、いつも同じ候補リストが出る、という今から思うと、トホホなシステムでしたが、憧れのコンピューター=パワーを個人が手にできるという夢の実現に興奮したものでした。コンピュータの前に付く、パーソナルという言葉に本当に重みがありました。
<ネットで検索しても8インチの巨大フロッピーの写真は無く、2世代目の5インチの写真しか見つかりませんでした。初代の8インチに対しミニ=フロッピーと言う名称でしたが、どこがミニだいっ!という感じです・・>
プリンターにまつわる懐かしい思い出、と言えば、当時、明石の歯科医師会で、パソコン同好会を立ち上げ、その例会の目玉として、女性の写真をプリントアウトさせようとしたのですが、当時のプリンターの性能は、と言えば、数時間かけて、A41枚の半分程度が印刷できると言うレベルで、しかもその印刷レベルたるや、カラー印刷とは名ばかりの荒い品質のものでしたが、会員から参加いただいたメンバー数名の大の男が数時間、その打ち出しを根気よく眺め、ほぉ〜、という感嘆の声が上がっていたのでした・・・・パソコン黎明期の懐かしい風景の思い出です。