9.11 NYテロ事件との遭遇

<現役時代の旧ホームページからの移植です>(2001.9.30 分)

日本歯科評論 THE NIPPON Dental Review Vol.61No.12(2001 12) P.64-65掲載

 2001年9月11日、世界中を恐怖と不安の渦の中に叩き込んだ あのニューヨークテロ事件の朝たまたまニューヨーク 滞在中だった私は、まさにあの世界貿易センタービルに 向かう地下鉄の電車に乗っており、突然の停車と充分に 聞き取れない駅のアナウンスに訳の分からないまま地 上に出、目の前で繰り広げられる白昼夢のような光景を 前に呆然と立ち尽くしておりました。

 アメリカの一つのシンボルであった世界貿易センター ビルの一棟の突然の崩壊と消滅、燃え盛るビルから逃げ 場を失った人々の<死への跳躍>を目の当たりにし 背筋が寒くなりながらも呆然と立ちすくんでおりました が、火災の煙りが近付いてくる気配に、ようやく身の危 険に気がついて、2時間近くも歩き続けてタイムズスク ウェアのホテルの部屋に帰り着いたのでした。

 旅行前、私は通常の電話線を通して現地のインター ネット接続業者の番号にコンピュータから電話をかけ 現地の市内通話料金でインターネットを利用しようと 考え、そのための契約(国際ローミングサービス契約) をして出かけたのですが、例の事件前までは、この形 の利用は不要でした。
 というのは滞在先のホテルでは、持ち込んだパソコン をつなぐと無料で高速の常時接続ができるサービスが 提供されていたからです。
 ところが、あの事件のあった11日の夜10時くらいから、 この接続が不可能になってしまいました。あわてて接続 方法を切り替えて旅行前から準備してきた国際ローミン グサービスによる現地の接続業者への通信先につなごう としましたが、これもまた不通状態でした。あの時点で は、まださらなるテロ活動が起こされる可能性があり、 その連絡にインターネットが利用されると懸念され、 ニューヨーク市内のインターネット接続に関して何らか の規制がかかったのではないかと想像しました。

 それにしても困ったぞ、と考えて、結局普段自分が 日本で利用している日本の接続業者の接続先に国際電話 経由でつなぐことを思いつき一夜明けた翌12日の朝7時 くらいにようやくこの形の接続が成功しました。 それにしても、アメリカ現地の航空会社のホームページ 等を見るために、わざわざ日本の接続点まで国際電話経由 でつないで、アメリカ現地の情報収集をしたわけですから、 考えてみれば随分変な形を取らざるをえなかったわけです。 しかし、あの状況の中では、遥かな日本との連絡メール、 航空機の運行状況等々についての情報収集のための不可欠 な手段として、インターネットは言わばライフラインの一つ であるというのが実感でした。
 12日の深夜というか、13日の早朝になってようやく、 アメリカ現地の接続点での利用が可能になり、この時点で 初めて、旅行前に準備してきた国際ローミングサービスが 可能になりました。国際電話経由の時は、何しろ、分刻み で100円硬貨が落ちていく感じがして、接続時間がきわめて 高価で貴重な感覚がありましたが、地元につなぐと確か 1通話25セントでしたから、やっと落ちついてインター ネット利用ができる状況になりました。砂漠地帯で水の 一滴が金一粒だったのが、ようやく水道のある所に来た、 というような感覚、と言えば大げさでしょうか。
 結局、帰国のためホテルを出た時点まで、ホテルの高速 常時接続は使えませんでした。ニューヨークの空港でも 公衆電話が使えない状況でしたし、マンハッタンへ出入り する道路が厳重な管理下に置かれ、殊に外部からの流入が ほとんどストップされていた状況と同質の規制が情報流通 の世界でも行われ、テロ対策として非居住者の情報通信 手段を規制したのかと思いましたが、当時のニューヨーク のインターネット状況についての詳しい筋からの情報では、 あの事件の後、政府関係の厳しいメールチェック(一種の 盗聴)が行われたようで、そのため、トラフィック(メール の流通)が極端に低下し、事実上、インターネットが利用 できない状況に陥った、というのが真相だそうです。

 それにしても、インターネットがいかに我々の日常生活に 深く入り込んでいるかをあらためて実感した経験でもありました。

 阪神大震災の時、緊急事態時のフレキシブルな情報伝達 手段として、インターネットの有用性が日本で初めて脚光を 浴びたように感じましたが、今回はその有用性が両刃の剣と して重視され、一部規制さえされた、というのは、それだけ インターネットが我々の生活の中で抜き差しならぬ位置づけ を持ち、道路と同じく社会的インフラになりきっていると いう証拠と言えるでしょうか。

投稿者:

matsuga_senior

《松賀正考》大阪大学外国語学部英語学科、歯学部卒業。明石市で松賀歯科開業。現シニア院長。 兵庫県立大学大学院会計研究科を卒業し会計専門修士。さらに同大大学院経済学研究科修士課程を卒業。その修士論文で国際公共経済学会の優秀論文賞を受賞。現在、博士課程在学中。