<現役時代の旧ホームページからの移植です>(2007.3.23 分)
本院の開設の年に生まれた長男もこの春、無事に阪大歯学部を卒業することができ、 私にとっても母校である大学の第54期の卒業式に参加いたしました。
数えてみると、私が第24期の卒業になりますので、それ以来ちょうど30年の歳月が流れたことになります。
学位授与式に同席させてもらって聞いた学部長の送別の辞の中での『常に最新のレベルの研鑽を 積み、これを患者さんに還元できる歯科医であっていただきたい』という言葉も感慨深く聞きましたが、 何より印象的だったのは晴れ晴れとした若者達の弾けるような笑顔の群像でした。
私の卒業時にはわずか数名だった女子学生の数が30年後の今、男女ほぼ同数のレベルになっており 振袖や袴姿が一層華やかな空気をかもし出していることにも驚きました。
屈託のない若者達の笑顔に囲まれていると、清々しい思いとともに、自分自身の30年前の頃を思い出し、 あの頃の初心と原点に立ち戻らなければ、という気持ちが沸いてくる気分でした。
私が歯学部に学んだ30年前当時、阪大の吹田キャンパスは、まさに建設途上で、教養課程を豊中キャンパスで 過ごした後、医学部および付属病院と共に大阪の都心の真っ只中にあった中ノ島キャンパスでの専門・臨床教育でした。 通学の帰路、梅田の大型書店に立ち寄ったり地下鉄駅周辺のビルの喫茶店で友人達と話し込んだり、最新の話題の映画やコンサート に出かけたり、と都心の利便性は大きく、それなりに充実した学生生活を楽しんだ思い出があります。(最近、この大阪の都心の中之島地区を訪れる機会があり、当時を懐かしんだ感想が、こちら)
しかし、その後新築移転した吹田キャンパスの宏大な敷地内に医学部、工学部、人間科学部など 他学部の校舎も点在する緑あふれる環境は、やはりいかにも大学らしく、このような恵まれた環境の中で 6年間を過ごせた長男の学生生活が、厳しい研修の中にも仲間達との思い出に満ちた充実したもの だっただろうと、あらためて深い感慨を覚えました。
振り返ってみると、私が卒業した30年前歯科界には私の現在の関心の中心であるインプラント技術もオール セラミック技術もレーザー装置もなく、一般の技術社会にはインターネットなど影も形もなく、パソコンの登場 ですら、その数年後でした。卒業後の大学勤務、病院勤務から開業生活への流れの中で、常に新技術へ関心を持ち、 その導入と日常臨床への応用に走り続けた日々でした。そのことを思うとまさに今昔の感に堪えません。
引き続き大学での研鑽を続ける長男が歯学部長の言葉のように『最新のレベルの医療を患者さんに 還元できる歯科医』となることを願った1日でした。