平成8年3月発行 明歯広報誌「海藤花」6号 掲載

震災復興とネットワーク社会

 過日、震災で倒壊した阪神高速の復旧工事が進む43号線を車で通った。工事による車線制限もあり、道路は数珠繋ぎの渋滞状態で、しばらく身動きできない状態であった。このイライラの中で前後の車中の人を見ながらふと考えたのは、車による人の移動というのは随分無駄の多い行動ではないか、ということであった。車のシートがすべて埋まった状態で走っている車はむしろ珍しい。多くは1人か2人程度しか乗っていない。人が1人か2人移動するために、大きな金属の塊を動かし、ガソリンを消費して、環境と自然を傷めている。同じ方向に向かっている車同士があっても、それはお互いに何の関係もなく、それぞれがてんでバラバラに排気ガスをまき散らしながら移動する。思い立った時に、行きたい所まで自由に行けるというわがままな人間の欲求を実現するために、我々は随分と大きな代償を払っているのだが、普段はそんなことを気にするふうもない。アメリカのような広大な国土の中に、町々がぽつぽつと散在しているような事情なら、まだ分かる気もするが、それと同じことを、とりわけ国土が狭小で人口が密集し、しかもその人口が一部の都市に集中している日本に持ち込んで平気なことが不思議な気がする。震災があの時刻でなくて、多くの人が移動している時間帯だったら、という仮定上での巨大な被害の推計もされているようであるが、それは本当に偶然の紙一重であったので、決して非現実的な想像ではない。



 現代社会の車による人の移動そのものの無駄だけではなく、そもそもその移動が何のために行われているのか、ということを考えると、疑問はさらに膨らむ。生産のため、あるいは原材料や商品の輸送といった物流はやむを得ないとして、道路上に溢れている車の多くは単に人だけを乗せて移動している。何のためか。営業や打ち合わせや会議のために。道路を埋め尽くす乗用車の中に乗っている人達は、それだけの多くの負担を環境へ負わせ、しかも、震災時の記憶を思い起こせばぞっとするようなリスクを背負いつつ、どうしても移動しなければならない理由で移動しているのだろうか。人だけが移動する理由の多くは<情報のやりとり>のためであろう。情報をやりとりのために車を使って移動する、それは資源や環境に負担をかけるだけではない。当事者の人間の立場から見れば、巨大な時間の無駄と言えるだろう。10人の人間が会議のために1時間をかけて移動したとすれば、合計して、延べ10時間が移動のためだけに費やされる。

 我々の生活を振り返ってみると、診療所への往復は仕事性格上、やむを得ないだろう。それ以外に多くの機会に我々は車で移動する。社保に関する情報伝達の会合、所属する委員会の会議、等々、ほとんどは情報のやりとりのためである。情報だけのやりとりなら、もっと他の手段で行えないのかーーー現在、社会のあらゆる分野で注目され、議論を呼び、真剣な取り組みが始まっているのは、そのような問題意識からではないか、と思われる。情報化社会がネットワーク社会となっていくのは深い必然性がある。情報が重要になり、情報が大量に生みだされ、頻繁にやりとりされるようになるにつれ、その伝達を如何に効率的にかつ無駄なく行うかということは致命的に重要になってくる。新鮮な情報を効率よく入手し、多くの情報をベースに的確な判断を下し、その情報を迅速に関係者に伝達する人々やグループが、社会的に有利になるのは理の当然である。そのような情報伝達手段にアクセスできなければ、関係する世界から取り残されてしまう状況すら生まれつつある。いわゆる<情報格差が生む所得格差>は現実的問題となってきている。

 先日、県立成人病センターで行われたインターネットに関する研究会での、講師の話は印象深いものであった。現在、基礎医学系あるいは臨床系でも専門性の強い分野の研究者にとって、インターネットなしでは<飯が食えない>状況だというのである。研究成果の発表等はまずインターネット上で行われる。印刷等で時間が遅れる学会誌は二の次であり、最新の成果の発表の舞台としての役割は急速に色褪せているという。

 また、昨年、日本のある地方大学のコンピュータネットを舞台に行われた基礎医学の国際学会はきわめて好評だったという。国際学会といいながら、その大学のキャンパスは平常のままである。ただ、その大学が運営しているコンピュータのネット上に共通のテーマごとに論文やメッセージが集められ、世界中の関係する研究者がここにアクセスし、その内容を見、発表者との質疑応答が繰り返されたという。研究に忙しい第一線の研究者たちは、自らの研究を続けながら、同じ分野、あるいは関連分野についての濃密な情報交流ができたわけである。次年度もこれでいこうと話がまとまっているという。壮大なアカデミックサイバースペース(学術的電脳空間)が出現し、専門家たちがこの学会に出席するための経済的、時間的消費は最小限に済んでいる。我々のような物見遊山気分の濃厚な学会参加者には物足りないが、第一線の熾烈な研究生活を送っている人々にとってその時間的・空間的な効率性はきわめて貴重なものなのだろう。

 あるアメリカの片田舎にありながら、インターネット上ではきわめて有名なバーチャルホスピタル、常に最新情報に更新されているネットワーク上の電子教科書、等々、従来の常識では信じられないような情報伝達の根本的な革新と世界的規模での情報の蓄積が恐るべき勢いで進められているのが現実である。この研究会の最後に出席者の一人から出された「我々臨床に携わるものにとって、インターネットの影響は将来どのようになると思われるか」という質問に対する講師の回答も印象深いものであった。「インターネットが社会のあらゆる分野で情報伝達のあり方を変え、その新しい道具の便利さを知った人々にとって、医療のみが例外であるということは受け入れられないだろう。他の分野と同等の情報伝達の利便性が求められるであろう。具体的な治療以外の、相談や問診、予約や病院案内等、あるいは患者紹介や医療情報の交換等、多くの局面でネットワークの利用がすすめられなければならなくなるだろう」というのがその回答であった。

 即時的に、しかも世界規模で伝達が行われるインターネットのインパクトは社会のあらゆる分野におよびつつある。インターネットは一つの象徴であり、代名詞であって、問題の本質は特定の情報網への接続ということではなく、社会全体のネットワーク化ということである。

 身近な所でも、震災からの復興を目指す神戸市や兵庫県の取り組みは真剣である。一月中旬、地元の神戸大学で<インターネットシンポジウム>が開かれた。開催関係者は一種のブーム的状況を呈しつつあるインターネットという言葉が予想外の参加者の増大を生む可能性を懸念し、開催通知を大学が関連するネットワーク上のみに限ったということであるが、それでも参加者は会場に溢れ、しかも県下の官学財民の主要な組織をほとんど網羅していた観のある出席者の態度は真剣そのものであった。自治体からのインターネット情報発信のトップランナーであった神戸市はそのインターネットサーバーが震災直後の情報空白の中での数少ない発信源として一躍世界的注目を浴びた。その異様までの評価に戸惑いつつも、神戸市もまた、自治体としてのネットワーク活用のモデル的立場をより一層深めるべく奔走している。これらの神戸市や兵庫県の動きを国もまた全面的に支援する姿勢であり、通産省・郵政省関連の大きな予算的支援が続けられている。

 これら国や自治体が目指す政策的目標は 1)震災の重要な教訓としての情報インフラの整備・強化、および 2)震災からの経済復興の中心的産業として、情報およびネットワーク関連産業の育成という二点である。

 1)に関して言えば、まず震災の経験を通しての切実な反省としての、情報の重要性、あるいは情報伝達手段の確保の重要性ということがある。震災直後、日本の各地から、ぞくぞく送り込まれた物量、人的支援は巨大なものであった。バブルの崩壊という目先の厳しい状況を忘れさせ、日本経済の底力を見る思いがする規模であった。しかしながら、それらの支援が直ちにスムーズに活用されたとは言えない。数多くの混乱、空回りがあった。

被災地区のまさに中心部が情報の空白地帯になっていたからである。的確な情報がなければ、物資は空しく山積みされ、支援部隊は立ち往生せざるを得ない。電話を中心とする伝達網はパンク状態で機能しなかった。電話は1対1の伝達形式を持ち、一つの回線を占有する、旧世代の情報伝達手段である。インターネット等のような柔軟な容量や多対多の同時通報性を持たない。この経験の痛切な反省に基づいて、防災的観点からのネットワークの整備が急がれている。この計画が進めば、神戸市内の中心地区には45Mbという太いインターネットの幹線が走り、日本でも最高レベルの情報インフラが整備される。今年度末までに、神戸市内の全小中学校にインターネット端末を設置する計画も進行中であるという。

 2)に関して言えば、兵庫県が中心となった阪神・淡路震災復興推進機構は情報関連の投資に総額50億円もの予算を用意した。また、三木市東部の400ha近い地域に計画されている東播磨情報公園都市構想では「阪神・淡路大震災の複興に向けて、産業の情報化・高度化を支援するとともに県域の産業構造転換を促進するため、多核ネットワーク型都市圏形成の一環として、マルチメディアを中心とした情報関連産業等の集積と災害に強い先進的な情報通信基盤の導入による新都市を整備する」ことを基本コンセプトとした計画が強力に進められている。これと競うかのように神戸市では神戸国際マルチメディア文化都市(KIMEC)構想を強力に推進しようとしている。郵政省と連携しつつ「次世代総合防災通信ネットワークに関する研究開発」、「次世代デジタル映像通信に関する総合的研究開発」、「情報通信分野における起業支援(インキュベーション)に資する共同利用型研究基盤施設整備」という3事業を推進するというものである。ポートアイランド内を中心に新たなマルチメディアやネットワーク関連の研究・教育・起業支援施設が設立・整備されていく予定となっている。

 要するに、神戸市も兵庫県もそして国もまた、次世代の産業の中心がこれら情報関連およびネットワーク関連産業であると見て、そのような将来性豊かな産業の育成を核として震災地区の経済復興を成し遂げようとしているのである。

 単に、震災関連のみではない。地元に近い播磨地区は従来から、医療情報のネットワーク化の先進モデル地区としての位置づけをされ、様々な先進的な試みが進められている。先日、私の診療所で患者に投薬した薬剤が本人のアレルギー体質に影響するものだった、というケースがあった。幸い大きな支障はなかったが、このような患者情報や履歴を本人がICカードで持ち歩き、同時に医療機関をオンラインで結び、効率的な医療情報のネットワーク化を進めようとしている。また、そのセンター施設ではインターネットを利用した医療情報の検索・発信システムの運用が始まり、世界最先端の医学情報が地域の病院や診療所の端末機を通してリアルタイムで入手できるシステムが開始されている。

 国のレベルでも、アメリカのホワイトハウスに倣って、首相官邸のホームページがインターネット上に置かれていることはつとに有名である。首相への質問を電子メールで受けるコーナーもあり、橋本首相は時間に余裕がある時は一日に4、5通の返事を自分で打ち込むこともあるという。つい最近の新聞記事にも、アジアでの国際会議の準備作業にインターネットを利用して、連絡・事務交渉等をより効率化しようという提案を日本政府が出したとある。

 我々の地元の明石市においても、テレトピア推進事業の中で様々な計画が進行中であり、医師会は明石ケーブルTVと協力体制を組んで、画像双方向システムによって、遠隔医療や在宅養護への活用に熱心に取り組んでいる。薬剤師会でも、会員や市民が通信回線を通して利用できる薬剤データベースシステムの構築に取り組んでいる。先日、機会があって、明石ケーブルTVの役員の方々とケーブルシステムを活用したインターネット接続の可能性について話し合う機会があった。全市域での放送開始を今秋に控え、現時点での取り組みは困難な事情のようであったが、将来的な導入検討の必要性は強く感じているとのことであった。我々には関係の薄いことと聞き過ごしがちが、地元CATVは明石市が中心とする第三セクターであり、地域映像情報システムの柱と位置づけられている。あらためて考えてみれば、明石地域内の各家庭へ双方向的なケーブル網が構築されていくわけであり、地域に密着した新しいネットワークが生まれようとしている。同じ地域の歯科に関する地域医療に責任を持つ社団としての本会とは、相互に協力しあえる可能性が大いにあるのではないかと考えられる。本会としてもその可能性に注目し、このようなネットワーク構築に協力し、またこのネットワーク機能を活用することを検討してもよいのではないだろうか。

 以上に列記した事柄はすべては偶然に、同時多発的に起こっているのではない。これらの動きの根底にあるのは社会のネットワーク化ということである。社会のあらゆる分野で情報の重要さが加速度的に高まってきている現代において、これを効率的に扱えなければ、個人も社会も生き延びていけない。情報のやりとりのためだけに多数の人間が移動するような無駄を省かなければ、やっていけない状況が生まれつつある。その解決のための最適解として、そして、それだけにとどまらず、その新しい社会的システムを通じて人間の創造力の開発と自由な知的交流を実現し、より豊かな社会と個人を生み出す可能性を感じて多くの関係者の熱心な取り組みが続いているのであろう。ことは単なる事務的効率化や閉鎖的趣味的おたくの世界といったレベルを越えた社会の基礎構造に関わる変革という問題になってきているのである。

 兵歯会長の言葉を借りれば、「県下唯一の歯科医療に関する学術専門団体」としての歯科医師会において、このような全社会的な動きに無関心であったり、無理解であることは許されないであろう。幸い、本会においては広報委員会にとどまらず、庶務担当理事や本会事務局とのネットワークも可能になり、また、一部の役員の方々の利用も始まっている。やれるところから、そして、やれる人々から、新しい情報伝達手段の活用をはじめていく、ということが大切であろう。

 社会の最先端に立つ必要はないが、社会全体の動きに取り残された存在にはなりたくないと思う。


      (原稿を書き終えて)

  本誌のページ数調整のため、編集〆切間際に慌ただしく稿をまとめた。表現等で読み苦しい点はご容赦いただきたい。以上の原稿は診療所の机上のノートパソコンで書いている。書き終えれば、ネットワーク経由で広報委員会会議室に送る予定である。ディジタルデータとして送られた原稿はそのままコンピュータ上のレイアウト用ソフトで作られた紙面に<流し込まれる>。レイアウトの細部を整えた後、この紙面データは再びネットワーク経由で印刷会社のコンピュータに送られることになるだろう。この間、人の移動はほとんどなしに編集作業は進んでいく。

 5年前、本会広報委員会で始まったコンピュータ編集システムへの取り組みは社会全体のネットワーク化の動きの中で、ここまで来た。紙と鉛筆で原稿を書き、はさみと糊とでレイアウトをしたかつての時代と比べれば、ほとんど<重爆撃機B29と竹槍>ほどの違いがある。

 我々も若いつもりがいつの間にか中堅(?)世代になって、本物の若い世代と接する機会を経るにつれ、コンピュータやネットが常識化しつつあることを実感する。学生世代のお子さんをお持ちの方は身近に肌身で感じておられると思うが、彼らのこの分野での習熟のスピードはすさまじい。先端のつもりの我々が追い抜かされる日もすぐに来るであろう。事実、インターネットの世界で革新的な技術を作り出し、その世界を牽引しているのはほとんどが20才前後の若者たちである。懐の深いアメリカでは、先にこの分野で革新的な仕事をし成功を収めた先輩たちが、これらの若者たちのアイデアに耳を傾け、彼らを大切に育て、ビジネスパートナーとして協同事業に取り組むパターンが目立つ。世代の歯車は着実に回転し、時代は進んでいく。小中学生時代からコンピュータで遊び、学生時代にはインターネットで情報収集しつつレポートをまとめた若者たちが、これから続々社会に登場してくる。そのような時代への対応を進めていくことが我々の世代の責任ではないかと思うこの頃である。