明歯広報「海藤花」4号 原稿

上海テニス見聞録 ーパトカー先導VIPツアー

 不死鳥の如く奇跡の高度成長を続けた日本経済もバブル崩壊後の深刻な不況にあえいでいます。経済の優等生としてヨーロッパ経済の牽引車役を果たし続けてきたドイツも民族の念願である東西統一を果たした後、その重い負担に悩んでいます。崩壊したソ連東欧圏は経済と民族紛争の混乱から世界のお荷物となりつつあります。このような世界経済の苦境をよそに、諸外国の集中的な投資を集め、着々と本格的な経済的テイクオフに向かいつつある国があります。ある日刊紙がその連載特集で『疾走する巨龍』と名付けた国、中国です。同じ社会主義大国でありながら、その一方の雄であったソ連の崩壊とその後の政治的、経済的混乱は目を覆わんばかりですが、<社会主義市場経済>という何とも融通無碍なネーミングの方針のもと、改革・開放の号令一下、中国は急速な経済成長の道をひた走っているようです。趣味を通して生み出される人間関係のネットワークの不思議な縁で、その中国の経済的中心都市「上海」への<テニス親善ツアー>が実現し、この興味ある隣国を意外な角度から見聞する機会を得ました。

 昨春、明石市歯科医師会テニスクラブはラケットのとりもつ縁で、台湾のデビスカップチームの元監督 陳哲夫氏のコーディネイトのもと日台親善テニスツアーを行い、クラブの歴史に楽しい一ページを綴りました。陳氏はまた台湾経済界の重鎮として活躍中であり、近年の世界経済の流れの中での台湾資本の対中投資ビジネスでも活発な役割を果たしておられるようです。子息もまたデ杯出場選手というテニス一家の陳氏を通し、上海網球(テニス)協会とのコンタクトがとられ、今回は兵庫県歯科医師会、明石市歯科医師会を代表し、兵庫県歯科医師テニス連盟主催の親善テニスツアーが実現しました。

 11月3日、秋晴れの「文化の日」の午後、守内道信団長(明石市)以下20名は東方航空にて大阪空港を出発。上海到着まで空路2時間。意外な近さに驚きます。時差のほとんどない(1時間)海外旅行は疲れを感じません。大半の団員にとって初めての社会主義国訪問だけにいささかの緊張は免れなかったようですが、その軽い緊張も出迎えの上海網球協会役員の方々の人なつこい笑顔でゆるみました。ゆるみ過ぎたメンバーもいて、送迎バスの待ち時間中、ついうっかり吸い殻を路上の落としたところ、老齢の係員が来て罰金!やはり外国、それぞれのお国柄があることをさっそく実感しました。

 送迎バスにて市街へ。前にパトカーが張り付いています!すわ何事と思いきや、実は一行の先導車とのこと。昨年の台湾と同様、経済発展途上のこの国でもテニスはまだまだ一握りのエリートのスポーツ、明日の親善試合の対戦メンバーの中には、政府高官等も多数含まれており、その筋からの配慮とのことでした。

 ホテルへの途中、練習コートへ。このコートがあるのが『西郊賓館』という迎賓館、ゲートを入って長いアプローチを経て、ようやく建物に着きました。かの登 小平氏の上海訪問中の宿舎と言われてびっくり。ただし、登 小平氏の宿泊所はここからさらに3つのゲートのさらに奥とのこと。政治の世界とは無縁のメンバーは着替えもそこそこに練習コートに。世界中のどこであれコートがあればラケットを持ち出すという位のテニス好きでなければ、上海までテニスに来ないとでも言わんばかりの熱心さ溢れるメンバーの練習風景でした。

 再び、パトカーの先導のもとに市街へ。急激な経済発展中の上海市内はあふれんばかりの車と人の洪水。説明によれば、ホテルにたどり着くまでに、日本から上海空港までの時間よりかかることもあるとか。それはオーバーにしても、想像を絶する混雑渋滞です。突如、パトカーからサイレンの音。アッと思うまもなく、反対車線へ。この後、ツアーの行程中、昼と言わず夜と言わず、混雑渋滞の中をサイレンを鳴らしつつ反対車線を逆送する送迎体制にメンバー一同は訪中日本代表団になったような錯覚をしかねぬほどでした。パトカーの効果絶大で間もなく市内のレストランへ。上海市内でも最も歴史のある有名な中華料理レストラン<梅龍鎮酒家>。ここで日中両チームのメンバーの初顔合わせ。中国側は上海網球協会会長、同副会長、上海体育協会幹部、上海医科大学の教授、上海市の裁判長、上海体育協会幹部、歯科医師等々。ウィンブルドン出場経験者2名やアジアシニアテニス選手権中国代表数名、最近までクウェートチームのコーチをしていたというテニス指導者を含むという錚々たるメンバー。これを聞いた柏木新介副団長(明石市)、明日の試合では勝てそうもないが、<乾杯>競技では負けぬと大張り切り。他にも、ホテルの玄関にたどりつくなり気を失いかけたメンバーもあって明日の試合の行方が思いやられる第一夜でした。

 ホテルは花園飯店(Garden Hotel)。名前のカジュアルさとは大違いの堂々たるシティホテル。東京にそのまま持ってきても一流で通るグレードと仲間内で話しつつ、ホテル担当者の日本語の流暢さをほめると、「わたくし、東京のホテルオークラより派遣されております日本人でございます。」との慇懃な返事。ホテルオークラ直営で最近開業したばかりのホテルと聞いて、なるほど。次の朝、早朝の散歩にホテル玄関を出て見ると、前にはジョギングコースが優にとれる規模の大きな庭園、これがホテルの名称の由来であろう。庭園のあちこちでゆったりとした動きの太極拳のグループ。中国に来ているんだなあとの実感。庭園からあらためてホテル建物を見上げると、石造りのがっしりした旧建築を活かしつつ、その背後に30数階の現代建築が組み合わされています。外資を活かしつつ急速な経済建設に突進している中国の現在と未来を象徴するかのようでした。この建物設備に日本式経営の手厚くきめ細かなサービスが提供されて、一泊100ドル。それでも、行きの機上で隣り合せた中国との往復数千回の商社関係者の話では、他の上海一流ホテルの2、3倍というから、物価の水準が推し量られます。

 中国風朝粥を中心としたホテルの朝食も早々に、再び先導車つきマイクロバスでいよいよ親善試合会場へ出発。会場となるコートは上海郊外の旗中村という新興住宅団地内。聞くところでは、この大規模な住宅団地開発計画は登 小平氏のお墨付により全国的にも有名になったモデル開発計画とのこと。団地内に入ると、日本の住宅と同規模程度の土地付き一戸建て住宅が整然と並んでいます。団地内センターと思われる所に、トレーニングジムや喫茶スペース付きのテニスコートが4面、コートサイドには階段式の観覧席まであり、周辺の田園的風景とは別世界です。専任のコーチもいるとの話であるが、この団地の住民たちが利用するのだろうか?と考える間もなく両チームに集合の声がかかる。記念撮影の後、両者実力順に10ペアずつの対戦ということになる。第1組、当方のNo.1ペア森本・向原組は優勢に試合を進める。なにしろ、県歯の優勝常連者と県医の現役チャンピオンとのペアである。ところがその後がいけない。当方が自信を持って送り出すペア、本多・福沢組、七角・添田組、が次々に敗北。
ベテラン守内・川口組がタイブレークの接戦まで持ち込むものの暑さとスタミナ切れで敗北、最後組の記者ペアは言わずもがな。結局、第1ラウンドは1勝9敗の完敗に終わる。

 絶好のテニス日和のもとでの熱戦も昼食の水入り。やはり団地内にあるレストランに移動。中華料理のコースの最後に出たのが大皿に山盛りの名物『上海ガニ』。網球協会幹部の一人が直接買い付けに行ってきたものとかでその量に圧倒される程でしたが、帰国後偶々NHKのドキュメンタリー番組でこの蟹漁の大変さと貴重さを知り、また、ある新聞社系の週刊誌のグルメ記事でこれが東京の中華料理店で覚醒剤の末端価格並の値段で売られていることを読み、2度びっくり。もっとしっかり味わうべきでした。

 アルコールも少々入り気分も和んで再び午後の第2ラウンド。当方は相変わらず、No.1ペア以外は勝てない。どうも先方は実力者を分散して編成した気配がある。七角・揖場ペア、宗本・近藤ペアが意外な(失礼!)善戦で勝利し、何とか面目を保てたところで公式戦は終了し、後は両者ミックスでの親善試合。ここで初めて先方の本当のNo.1ペアがその実力を見せ、さしもの森本・向原組も6−2で完敗。むきになった2人は再挑戦するが、健闘空しく敗戦。後で聞くところでは、先方は中国内のランキング1桁台の実力者であったらしい。戦績は今一つさえないものであったとはいえ、錚々たるキャリアのプレーヤーとのお手合わせにメンバーそれぞれの感慨を味わった一日でした。

 夕日がぼちぼち沈みかける頃、コートを離れ、再び上海市街に向かい、市内のレストランで公式の親善夕食会。陳氏の司会、通訳により両者の公式の挨拶の交換。中国側より元ウィンブルドン出場選手の網球協会会長より歓迎の挨拶。この後、当方の守内団長の答礼の挨拶。ところがこれが全文中国語によるもの。ツアー前の数週間、推敲と練習を重ねてきたという真情あふれる文章を、文字どおり、汗をふきつつの大熱演に中国側からはやんやの大喝采でした。この後、宗本先生が兵庫県歯科医師会の村井会長の挨拶を代読。また、川口明歯専務が明石市歯科医師会の湊会長の挨拶を代読。いずれも大きな歴史的視野から今後の日中友好の重要さを訴えるもので、経済的実利を離れた趣味の世界を通しての人間的な輪の広がりが持つ重要性を考えさせるものでした。この後、柏木副団長より中国側に記念品として大きな日本人形の贈呈。挨拶の交換の後は、テーブル入り乱れての乾杯(かんぺー)の応酬。やや英語が通じにくいものの、そこは同好の士、身ぶり手振りとアルコールの勢いで盛り上がり、上海の夜は更けていきました。

 次の日は一日、上海市内観光。急速に変貌する中国経済の現況の一端に触れたいとは考えたものの、まずは土産物中心のショッピング。消費財の溢れた日本からやってきて買うものがあるのだろうかと考えていたが、グループで一店訪れる度に、もの珍しさや余りの安さについ財布の口が開き、メンバーたちの鞄は着実にふくらんでいきました。あるメンバーはシルクの絨毯が日本の百貨店価格とは一桁違うと大感激。輸送の問題があって断念したものの、帰国後も夢の中でうなされているのではないかと思うほどのご執心。ただし、店によってずいぶん差はあるものの、店員のサービスはお世辞にも良いとは言えない。民営化前の日本の鉄道会社の如し。上海一のメインストリートに日本のさる一流百貨店が出店し、現地の名所の一つになっているとのこと。話の種にと訪ねてみる。なるほど、内装や陳列はほぼ完全に日本流。笑みがややぎこちないもののエスカレーターガールもいて、さきほどの商店とはずいぶん雰囲気が違う。価格は日本の国内より数割安いかなという程度。一部のブランド品などはほとんど変わらない。現地の人々の公称の年収水準から考えると、とんでもない価格と思われるが、結構な人混み。かなりの収入格差が現実のものになっているのであろう。街中を歩いていて、気がついたのは先進諸国でもしばしば問題になるホームレスピープルに類する人を見かけないこと。ただし、駆け足の見聞なので正確なことは言えない。もう一つ目立つのは、子どもの姿を見かける頻度の少なさ。これは統計的にも間違いないことであるが、いわゆる「一人っ子政策」の当然の帰結であろう。社会の急速な高齢化についての議論がにぎやかなわが国の昨今であるが、もっと巨大な高齢化社会問題がこの国を襲う日が来るのではないだろうかと、ふと考えてしまう。メインストリートを駆け足で見ただけであるが、経済特区に指定されている上海の消費生活が急速な膨張と発展を遂げていることは実感として感じられた。かつて、社会主義諸国の典型的風景のように思われた商品の無い陳列ケースや人々の行列などとはほど遠い世界である。むしろ、急拵えの小さな店舗が乱立し、いたる所で建築工事現場が目立つその様子は人々の抑えられていた消費生活への欲望と熱気が急速に盛り上がっていることを強く感じさせられる。ホテルの室内でTVのチャンネルを切り替えると香港や日本の衛星放送が自由に映し出されている。その画面には西側諸国の消費生活スタイルが溢れかえっている。おそらく、この国は多少の曲折はあっても、その経済システムにおいて後戻りできないところに来ているのではないだろうか。檻から放たれた<消費生活という猛獣>は2度と檻の中に戻ることはないだろうとの感慨。むしろ、不況に苦しむ現在の先進諸国の経済にとって、膨大な潜在力を秘めたこの国の経済が持つ巨大な消費マーケットの未来とテイクオフしつつある生産力は限りなく魅力的に映っているのではないかと思われる。今はその埃りっぽさが目立つ街並みであるが、この国が21世紀の主役の一人になる可能性は十分あるという予感がする。

 様々な感慨を持ちつつ、夕刻、再びマイクロバスで次の観光予定地蘇州へ出発。次の日、蘇州は終日の雨。ホテルに付属のテニスコートでの練習予定は中止になったものの、<雨に煙る蘇州>もまた思い出と、各名所を巡り、翌27日昼前、全員無事帰国の途につきました。テニスを中心とした5日間の日程中、台湾の陳氏ご夫妻には全行程同行いただき、現地の事情の不明な点すべてにきめ細やかなお世話をいただきました。また、川崎重工の森田氏には会計やスケジュール調整に奔走いただきました。団員一同、御両氏に心からのお礼を申し上げ、報告の小文を終わらせていただきます。

(テニス初心者の同行記者 / 松賀正考)
<Jan./'94 執筆>