明歯広報誌「海藤花」3号 掲載

知的モータリゼーション の始まり --- DTPの現状と将来 ---

  <以下は平成5年春、広報紙編集委員会でDTP編集を開始した頃に執筆した原稿です>



 編集後記において他の委員も触れておられるように、今年度は前年度の2回発行に対し、今号の1回発行にとどまりました。残念ながら、今年度に関しては、諸般の事情により、従前の発行ペースに戻ってしまったわけですが、この発行頻度の後退が(一昨年度以前はずっと年1回のペースであり、たまたま、前年度に限り年2回発行ができたという事実からすれば、後退というのはやや酷かとも思いますが)DTPシステムを採りはじめたからではないかという誤解が一部会員の間にあるようですので、簡単に状況の説明をしておきたいと思います。
DTP(DeskTopPublishing卓上印刷あるいは机上印刷)は、文書印刷分野へのコンピュータの応用という形で、現在、企業社会や研究教育に関係する世界で大きな話題となっている新しい技術革新です。文書印刷の技術の変化という意味では活字による印刷を開発実用化したグーテンベルグ以来の革命的変化とさえ言われています。個人が利用できるパーソナルコンピュータが趣味的利用をこえて、現実的具体的な成果を生みだしえる機器と認められ、欧米でのオフィスへのパソコンの急速な普及の引き金になった技術でもあります。
 コンピュータを利用すると聞いただけで、何か難しげに考えられたり、準備が大変なのではないかとか、たいそうな取り組みをするような想像をされていることもあるようですが、実際の作業としてはさほど複雑なプロセスが必要なものではありません。従来の会報編集では、
     編集方針の決定→取材→原稿作成、写真の準備→
           紙面レイアウトの決定→版下の作成→印刷
という手順でした。DTP編集でも、前半の原稿作成、写真の準備までは全く従来と同じです。(今回の発行遅れは、この段階が諸般の事情で遅れたことによるもので、DTPとは関係がありません。わずか数名の兼業編集者ですすめている事情をご賢察下さい。)つまり、これはコンピュータ利用の原則ですが、コンピュータはあくまで人間の仕事をよりスムーズに進めるための補助手段であって、人間のやる仕事そのものを代行できるわけではありません。高速でパーソナルな移動手段としていまやそれ無しでの社会生活が考えられないほどに我々の生活の中に定着した自動車でいえば、自動車の速度がいくら速くても、その車で何処へ行き、何をするのか決めるのは人間であり、それが決まる前には、どんな高速な車でもエンジンをからぶかしする以外、どこへも行きようがないのと同じです。 DTPによる編集システムが従来のものと代わるのは、1)原稿作成をワープロ入力する、2)紙面レイアウトの検討と版下作成をコンピュータのモニター画面上で行う、の2点だけです。

 1)について言えば、タイプライターの利用を通してキーボードタイピングが日常生活に浸透していた欧米に比べ、我が国ではワープロ入力そのものが特殊技能視されたり、キーボードアレルギーなどという奇病が発生するなど新しい技術が浸透しはじめる時期特有の一過性の現象が見られるようですが、実態としてはごく単純な定型作業にすぎません。数十年前のモータリゼーション初期に、老人から女性まで自動車免許を持つのが当たり前になる時代がくることなど誰が想像したでしょう。今、自動車の運転が特殊な技術だといえば、笑われるでしょう。同様に、ワープロ入力もごく近い将来、ありふれた当たり前のものになるでしょう。将来の社会人は、現在の若者であり、子供達です。身の回りや学校教育の中にあふれる情報機器の中で育つ彼らにキーボードやモニター画面やパソコンの周辺機器は身構えるものでも、特殊なものでもなく、ごくありふれた文房具の一種に過ぎなくなるでしょう。ワープロ入力を特殊視し、特別な作業と考えるのは間違いでしょう。
 2)はまさにDTPの本質的な部分です。従来の編集システムでは、手書き原稿と写真を印刷所に渡し、版下作成までの作業を印刷所に委任します。ひとに任せれば、手間はかかりません。ただし、経済社会の原則として、その分の費用がかかります。大まかに言って、これまでの例では印刷関係予算の約半分がこの部分の作業の委託費にかかっていたと言ってよいでしょう。一般には十分理解されていないことですが、いわゆる印刷費と言うのは紙とその上にのっているインク代がすべてではありません。印刷所に支払われる印刷代のかなりの部分が雑然たる原稿の束とサイズがばらばらの写真の山をどう紙面上にうまく納め、発行者の希望に沿った体裁に仕上げるかという手作業の人件費にかかります。無制限の予算を使えるのでなければ、あることに費用がかかれば、残りの予算はその分切り詰めざるをえません。限られた資源をどのように配分し、最大の効果を得るか-- これは経済(ECONOMY)の永遠のテーマですが、紙面構成の委託人件費をDTPによって削減し、その分を昨年のように発行回数の増加や、今回のような紙面の大型化など他の面の充実に使えないかという模索を我々は試みてきました。今回のような紙面の大型化を従来の方法で行えば、倍の予算が必要でしょう。2回発行でも同様です。従来と同一予算で、昨年度は2回発行を、今年度は紙面の大幅刷新をという形で、我々はそれなりのDTP効果を上げ得たと自負しています。くどいようですが、今年度1回発行になったのは我々以前に比べて回数が減ったわけではありません。今回我々の努力は紙面構成の充実にあててみました。従来の会報と同一規模の予算でこれを実現するためにはDTPは大いに有用であったと思います。
外部委託でよいではないかという声も聞こえてきます。これは単なる選択の問題です。ただし、予算が一定である限り、前述の通り、使える残りの実質的予算規模は半減することになります。さらにまた、外部委託すれば編集者の手間がゼロになるというわけでもありません。紙面構成の方針を伝え、写真のサイズ、位置を相談し、それらすべてが編集者の方針通りに進んでいるか等のチェック、誤字、誤植の訂正のための何回かの校正作業等、委託につきものの<隔靴掻痒>の作業は残ります。DTPの効用は外面的、数量的には印刷に関わるコストの削減ということが何より大きいと思われますが、その本質的な意味は実はこの問題にあります。人に任せる事は一見単純な問題解決に見えますが、必ずしもそれで自らの思い通りにスムーズに事が運ぶとは限りません。車の運転は運転手に任せるに限るという考え方もありますが、車の運転が老若男女を問わず可能なものとなってみれば、マイカーがやっぱり便利だと考える人が圧倒的に多かったからこそ自動車は現代人の「足」になりました。同じように、パソコンが一般の人々の<頭の一部>になるのは確実だろうと思います。自動車の技術革新は短期間に進みましたが、パソコン等の情報処理機器をめぐる技術革新は全く驚異的なハイペースで進んでいます。その操作技術はますます簡単なものになり、一般の人々にとって特別なものでなくなっていくでしょう。その操作技術が簡単なものになっていけばいくほど、みずからドライブすることのメリットが明らかになってくることでしょう。今の時点からDTPに取り組む事は、その意味で単なるコスト削減以上の本質的な意味があるだろうと思います。
 もちろん現時点でDTPの技術はそれほど一般的なものでも、簡単なものともいえないでしょう。その修得には多少の根気と努力が必要でしょう。しかしながら、この種の技術の通則通り、一旦修得され、形成された知識、ノウハウはそのまま蓄積されていき、次の段階の土台となっていき、回数を重ねるにつれ、繰り返される同種の作業は簡便化され、作業全体は等比級数的に楽なものになっていくでしょう。どんな事業も立ち上がりは大変なものです。初期の困難さだけを基準に全体を判断していては新しい試み、新しい技術の導入は何もできないでしょう。DTPに限らず、会務関連事務のOA問題も散発的に発生しているようですが、長期的視点からの全体的検討をしておく必要もあるのではないでしょうか。
 最後に、そのような新しい試みをしても後継者がいるのかという声について。簡単に言ってしまえば、仮に、このような試みの後継者が今後現れなくとも、会としては何の不都合も生じないでしょう。そんな時は例の万能の呪文<昔のやり方でやろう>と唱えれば万事解決です。DTPは影も形もなく消え失せ、昔ながらのシステムが何事も無かったかのように動き始めるでしょう。後には、ある時こんなシステムもあったというわずかな痕跡として、DTPデータの数枚の磁気ディスクが残るばかりです。現在のところ、DTPのための機器や設備はすべて編集委員とその関係者が個人的に所有しているものを利用しているだけであり、会の予算はごくわずかの消耗品に使われているにすぎません。このような組み合わせで、前述のような予算効果をあげているわけですが、このシステムをやめたところで、その効果がなくなるという以外何の変化もないでしょう。編集印刷に関する世界が今後も何の変化もなく、一般社会での情報処理機器の利用状況が全く変化しないという前提の上ですが。ただ、この<後継者>問題が、息絶え絶えの古典伝統芸能のそれと大いに違うことは間違いないでしょう。我々の次の世代の方が新しい知識や技術に対しより敏感であると予測するのは十分な根拠があると我々は考えているのですが。